日本葬送文化学会の会報『葬送文化』22号は2月上旬に発行とのことである。
http://www.sosobunka.com/
私は22号に「コロナ禍と葬儀に与えた影響」という論稿を掲載している。
この論稿は2020年10月下旬より11月初旬にかけて執筆したものに12月18日に必要最低限の補足を行ったものである。
構成
はじめに―コロナ禍の概況
1 新型コロナウイルス感染症とは?
2 COVID—19流行の概況
3 コロナ禍による国内葬儀の変化
4 葬儀の内容の点検と従事者の役割
5 コロナ禍による社会的空気の変容
結び
さらに同学会の1月22日開催された定例会で講演したが、事前に会員に配付したのが2021年1月10日付けのデータ等を基に大幅な改訂を行った増補版である。
※この増補版は400字で100枚弱におよぶ長ったらしいものですが、全文入手を希望される方は、「プロフィール」記載のメールアドレスに、
(ご注意:「お問い合わせ」で申し込まれても受けかねます)
①お名前、②フリカナ、③ご自身のこと(例:大学生、火葬場、石材業、葬祭業、研究者、フリーター、報道、等簡単に)、④希望の理由、⑤メールアドレス
を記載のうえお申込みいただければ、順次お送りします。
さて今回掲載するのは、その一部である。
コロナ禍で葬儀はどう変化したか?
これを第一波期と7月以降とに分けて掲載する。
第1波期(3~5月)葬儀はどう変わったか?
葬儀は確かに変化したが、それは葬儀固有の変化ではない。あくまで社会の状況変化に対応したものであった。
ヨーロッパのように都市封鎖(ロックダウン)が行われ、集会の禁止、葬儀は禁止または5名以内に制限等がされたわけではない。
緊急事態制限過下であっても「葬儀の自由」は名目上確保されていた。しかし、「適切な感染防止策をとったうえで」であった。特に3~5月間の特徴を以下に示す。
⓵情報が信頼できず不安感が覆う
COVID—19については、解明が進まないことから、正確で信頼できる情報が乏しく、不安感に覆われていた。
新聞・テレビ等では「感染症専門家」と称する医師が登場し、あたかも「リスクを0(ゼロ)に」と危機感をかきたてた。COVID—19はまた中国に続き欧米で猛威をふるっていたので、感染することへの恐怖は大きなものがあった。
これは一般の人だけではなく、葬儀、搬送、火葬等に従事する企業においてもそうであった。自らの従業員の感染もそうであったが、会葬者等の関係者に感染者を出すことによる風評被害
発生を強く心配し、過剰気味に反応した事例も少なくない。
②外出自粛、集会制限で「葬儀で集まる」ことを自粛
あたかも災害時の一時的な特別な状況にあるという認識で、葬儀は一般に告知されないだけではなく、そこに住む家族だけで行い、家族の一員ではあるが他県に住む人は集まることを控え、あるいは「控えることを強いられた」ケースは少なくない。
結果、葬儀をせず火葬のみとする直葬、葬儀をするにしても通夜を省く一日葬、と簡略形態が増加。会葬者数は都市部では5~10人規模、地方においても20~30人規模と、コロナ禍以前と比べて半分以下に急激に縮小した。
③葬儀の宗教離れが加速か?
宗教者においても、檀信徒である遺族から葬儀や法事の依頼が遠慮されただけではなく、自らの感染不安から自粛にはしった事例が少なくなかった。結果的に葬儀・法事数や収入が平年の7割減という寺院や教会もあった。
※全日本仏教会による調査
http://www.jbf.ne.jp/wp-content/uploads/site211/files/pdf/bukkyoureport2020_102.pdf
従来の葬儀は、都市部で8割程度、地方では9割以上が宗教儀礼(その9割は仏教)で行われてきた。それが直葬の増加もあってこの間は宗教者が係わらない葬儀が増加した。
2010年以降、都市部で流行したのが寺檀関係等にある僧侶によらない、葬祭事業者やネット事業者等斡旋の「派遣僧侶」である。しかし、これもコロナ禍で急速に需要が縮小した模様である。
元来、僧侶が葬儀を執行するのは、貴族・武士以外の民衆においては、戦国時代の仏教が葬祭仏教化し、これが民衆の支持を受けたことに起源をもつ。
決定的なのは江戸中期(1664年)に幕府が寺請制度を法制化したこと。以後は寺が地域社会の公共性を獲得したこともあり固まった。
明治維新では寺請制度は廃された。だが、特に1898(明治31)年に家制度を基調とした民法(明治民法)が施行され、寺檀関係の多くは継続。
しかし、戦後の1955(昭和30)年から高度経済成長が開始し、「都市化」という郡部から都市部への大規模な人口移動が行われた結果、都市部には大量の、東京では5割にものぼる、宗教浮遊層が発生。彼らは「信仰」によるのではなく「慣習」として仏教葬儀を選択することが多かった。
だが2000年以降に「個人化」傾向が定着すると、既存寺院にこだわらない、ビジネスとしての僧侶派遣も「便利」「あと腐れがない」と選択するようになった。宗教浮遊層は、元々仏教葬儀へはこだわりの少ない層であった故に、コロナ禍という非常時に仏教葬を選択する理由は乏しかった。また、寺等との関係に消極的だった檀信徒等は、この機会を利用して縁を切ろうとしている事例も見られた。
檀信徒・信者との緊密な関係を欠いていた寺・教会等が急速に支持を失う一方、日常的に檀信徒・信者や地域住民との信頼関係を築こうとしてきた宗教者は、むしろ孤立しがちな遺族に寄り添い、信頼を高めている。まさに非常時にあって宗教者の真価が問われたと言えよう。
宗教者は、大切な人との死別という「大事」において、通夜・葬儀式という約30分~1時間という短時間の儀式で読経することだけが仕事ではない。また信頼なくして儀式も意味、価値を獲得しない。遺族の信頼を得て、または得るべく、トータルに係わる責任がある。
以下、続く