奥田知志さんの生き方

■ブログをしばらく休んだ言い訳
しばらくブログをお休みしていた。
自覚的に休んだわけではない。
何度も書こうと思い、作業予定に書き込むのだが、ついつい仕事で入った作業のほうを優先して思わぬ間があいてしまった。

書きたいテーマはあるのだが、それに取り組むには覚悟やしんどい作業が必要だと思うと、ついつい後回しにしがちになる。
しかし老い先も短くなっていることであるし、着実にとは保証しかねるが、少しずつ書いていこうかと思っている。
きょうは少数の気にかけてくれている友人たちへの報告である。

■体調の報告
体調は、75歳の後期高齢者になったのだから、そんなにいいはずはない。
常にどこかに問題は抱えていて、4人の科が異なる医師の診療を定期的に受けている。
だが、今のところ生命に緊急に影響するほどの事態は招いているわけではない。
順調がいいことかどうかは危ぶむが、まあ生きている。
同じ歳の人間は毎年確実に欠けていっているので。いずれは自分も仲間入りすることであろう。

私は7~8年前までは、およそ疲れを知らない人間であった。
徹夜も60代までしていたし、できた。
だが後期高齢者の今、あたりまえのことであるが、疲れは出やすくなっている。
週に3回も外出するようなことがあれば、夜はクタクタになる。
就寝前に入浴していて、あまりの身体と頭の重さに、最近はしばしば「オレは今突然死するかもしれない」と感じる。
だが、翌朝になると頭も身体も元気を取り戻している。
それがいいことかどうかはわからないのだが。

■奥田牧師を取り上げたETV特集を観る
6月12日23時からNHK のETV特集「生きていれば きっと笑える時がくる~牧師・奥田知志のホームレス支援~」を観た。

奥田 知志(おくだ ともし、1963年7月15日 – )は、日本牧師日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師、認定NPO法人法人抱樸(ホウボク)理事長、公益財団法人共生地域創造財団代表理事、一般社団法人Colabo理事、北九州市立大学MBA特任教授[1]。(Wikipedia)
1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。
1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」を、ボランティアとしてだけでなく、教会の課題として継続し、北九州市において、2800人(2015年12月現在)以上のホームレスの人々を自立に導いたNPO法人「抱樸」(旧北九州ホームレス支援機構)の理事長としての重責も担う。その他、社会福祉法人グリーンコープ副理事長、共生地域創造財団理事長、国の審議会等の役職も歴任。毎日新聞社福祉顕彰など多数の表彰を受ける。NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」にも2度取り上げられ、著作も多数と広範囲に活動を広げている。(東八幡教会ホームページhttps://www.higashiyahata.info/about/pastors/

奥田さんのことは今まで何度も記事で読ませていただいていたが、一人ひとりの生活に対峙してていねいに生きる姿に感じるものが多かった。
「神様は会っていないからわからないけど、人間は好きだ」
という番組中の言葉にはニヤリとした。

東八幡教会のホームページによれば、教会のコンセプトは
「人と人、神と人との出会いの場軒の教会」
「一軒の教会」というのは「人の領域と神の領域が重なり合うところ、まさに『軒』のような存在がイエス・キリスト」ということからきている。

「礼拝堂の中に閉じこもるのではなく、大きく広げられた軒下で、人々との出会いに開かれていたいと考えています。『まちの教会となる』、『すべての人と家族になる』。そんな壮大なミッションの実現に向けて、私たちは『軒の教会』としての歩みを進めていきます。」

この教会が掲げているミッションは5つある。
私が特に気に入っているのは
「腰に手拭いをしてイエスに従う」
である。
「腰に手拭いをして」が秀逸である。
私のように頭でっかちな人間にはすこぶる羨ましい。

認定NPO法人抱樸のホームページは
https://www.houboku.net/

「社会に居場所がない。困っているのに、『助けて』と言える誰かがいない。生きることに疲れ果て、自分が困っていることにさえ気づけない。 ― 私たちの周りには、見えるところにも、そして見えないところにも、多くの孤立と困窮の現実があります。

私たちは、誰も取り残されない社会をつくりたい。誰もがありのままの状態で受け入れられる社会をつくりたい。『自己責任』と、家族の役割ばかりが大きくなっていく風潮の中で、何の心配もせずに『助けて』と言える社会をつくります。」

私には大学の1~2年時に九州の筑豊閉山炭住に学生仲間で出かけて行き、その活動で挫折したという過去がある。
根性だけではなく、あらゆるものが当時の私には欠けていたのだろう。
東京駅から夜行の急行列車に乗って18時間ほどかけて出かけ、春・夏・冬の休みを利用して年に4カ月ほど現地に滞在して活動した。
山口県の厚狭(あさ)を通過する頃に朝が開けたことを記憶している。
私が選択できなかった生き方が奥田さんたちの生き方にあった。

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/