散骨論議の経緯

この項は長い。
目次を参考に少しずつお読みいただければありがたい。

■最初の散骨(「自然葬」)

日本で近代において記録されている限りの最初の散骨が報道されたのは、市民団体葬送の自由をすすめる会により1991年10月に神奈川県相模灘で「自然葬」と称して行われたものであった。

以後、同会によって「再生の森」にての地上での散骨を実施。

また民間事業者によって「海洋葬」等と称する海上散骨が行われるようになった。
これについては私が知る最初のものは東京都新宿区の葬儀社である公営社によって1994年2月に太平洋上において船からの散骨が「海洋葬」として実施されたものである。

以上は、葬送の自由をすすめる会が手等で焼骨を砕いた、公営社はミル(小型の粉砕器)で焼骨を砕いたの違いはあるが、「墓地以外に焼骨(火葬された骨)を細かく砕き撒く」行為である。
なお欧米において散骨は、「墓地以外」とは限定されず、「墓地および墓地外」において実施されている。

もとより散骨は日本独自のものではない。
欧米等で焼骨を細かく砕き、これを撒くscattering(散骨)は少なくとも戦後には見られるものである。
北米においては散骨については無制限ではなく、州により規制されているところがある。

日本で万葉集に散骨かとおぼしき記載があり、古代において散骨らしきものが行われたらしいとはいえ、それが現代につながっているわけではない。
91年の葬送の自由をすすめる会は現代の北米において行われている散骨のコンテキスト上に位置づけられるものである。

散骨を「自然葬」と称して実施したのは、日本国内法である墓地埋葬法であたかも散骨は制限されているかのような風潮に対して、墓地外での散骨を「葬送の自由」の権利行使とした葬送の自由をすすめる会の理念に基づくものである。

■国内法と散骨との関係

葬送の自由をすすめる会が散骨を実施する以前は、暗黙のうちに遺骨の散布は禁止されているとの理解が拡がっていたことは事実である。

  • 墓地埋葬法4条
    墓地埋葬法第4条に
    「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。」
    とあることから墓地として許可された区域以外に遺骨を散布することは禁止されているのではないかという理解があった。

    刑法190条
    また、刑法190条に
    「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。」
    とあることから、散骨は遺骨遺棄罪に相当するのでは、という議論があった。

  • 葬送の自由
    これに対して葬送の自由をすすめる会は、
    憲法13条
    「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
    に基づき、
    「死者を葬る方法は各人各様に、亡くなった故人の遺志と故人を追悼する遺族の意思によって、自由に決められなければならないと考えます」
    と葬送の自由を象徴するものとして散骨を「自然葬」と称して主張した。

    また、同会は、刑法190条並びに墓地埋葬法4条について、
    「確かに、遺体をそのまま海・山に捨てるようなことは現在はできません。しかし、遺灰を海・山にまく散灰は、それが節度のある方法で行われるならば法律に触れることはありません。墓地、埋葬等に関する法律や刑法にはこれに関連する規定がありますが、どれも葬送のために遺灰をまくことを禁じるものではありません。」
    と会に属する弁護士らが法的根拠を主張した。

■最初の散骨についての厚生省見解の真実は?

以下は葬送の自由をすすめる会のホームページの記載である。

「第1回の自然葬のあと、法務省は『葬送の一つとして節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪には当たらない』、厚生省(当時)は『墓埋法はもともと土葬を問題にしていて、遺灰を海や山にまくといった葬法は想定しておらず、対象外である。だからこの法律は自然葬を禁ずる規定ではない』と、それぞれ新聞の取材に対して同会の考えを追認する見解を明らかにした。これによって、自然葬は日本で初めて市民権を得た。」

これは当時の朝日新聞社会部報道に基づくもので大いに問題があった。
この記事は同会に属する記者が書いたもので、「捏造」に近いものがあった。
これが「大朝日が書いたものだから事実であろう」と多くが判断し、まかりとおることが生じた。

まず、厚生省(当時)の「見解」なるものを見てみよう。

「墓地埋葬法はもともと土葬を問題にしていて」ということは事実としてあり得ない。

墓地埋葬法(墓地、埋葬等に関する法律。かつては「墓埋法」と略されることが多かったが、現在は「墓地埋葬法」と略される)は、1884(明治17)年の「墓地及埋葬取締規則」に起源をもち、戦後の1948(昭和23)年に公布された。

第1条(目的)に
「この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。」
とある。

明治期には特に「公衆衛生上の取締」の観点が強い法律であった(背景には今の新型コロナウイルス感染症危機をはるかに超える江戸後期以降のコレラをはじめとする感染症の大流行があったということを忘れてはならない)。
しかし、戦後の法律では、火葬や墓が「国民の宗教的感情に適合」することを基本としながら「公衆衛生」と「公共の福祉」を2枚看板にしたものである。

すでに1940(昭和15)年には火葬率が過半数を超え55.7%であったことから、墓地は埋葬(土葬)と焼骨の埋蔵の2つを前提としたものであった。
なお2018年度現在、火葬率はほぼ100%である。
※「平成30年度衛生行政報告例 第4章生活衛生 第6表『埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数』2018年度調査、2019年10月31日公表(これが最新)によると、死胎を除くと、死体総数1,384,990、埋葬(=土葬)117、火葬1,384,873であるので、火葬率は99.99%となっている。

近年の厚労省の墓地行政方針に大きな影響を与えている『これからの墓地等の在り方を考える懇談会」(報告書1998年10月)においては
「散骨は墓埋法の埋葬にも埋蔵にも当たらない。散骨に限らず、墓埋法には火葬後の焼骨の処理方法についての規定がなく、自宅に焼骨を保管しておくことについても規制していない。散骨などによるトラブルが起きたときの裁判規範となるものがない」
という議論が行われた。
このことから類推するに「散骨は墓地埋葬法の対象外であるから適法」という見解が厚生省(当時)から出されたとは考えにくい。

せいぜいが
「墓地埋葬法制定当時は散骨という葬法は想定されていなかったので、散骨の合法性については言及できない。従って墓地埋葬法第4条をもって散骨を直接規制することはない」という事実のみが厚生省(当時)の担当者からは語られたのではなかろうか。

厚労省担当部局が一貫して散骨に関する社会的合意、規制、ガイドラインを模索していたことから推察される。

■「法務省見解」はほぼ捏造?

では「法務省は『葬送の一つとして節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪には当たらない』と同会の考えを追認する見解を明らかにした」のは事実であろうか。

『撒骨(散骨)に関する「法務省見解」の正体』なる批判文を公表している愛知学院大学教授 (刑事法) 原田 保は「法務省見解」の名で流布された「節度があれば適法」という言説を批判していて、「当該法務官僚は、不公正かつ不合理に適法評価を断言し、これに『法務省公式見解』という偽名を付して、報道機関に伝達した。散骨推進団体主宰者は、これに依拠して、『国の公認』という虚偽を喧伝し、撒骨反対の社会通念に『誤った固定観念』というラベルを貼り付けた。」と批判するが、これも面妖でおかしい。

この問題は、私が直後に法務省刑事局に出向き、「見解を出した」とされる担当官(検事)と時間をとって面接したので明らかにできる。

担当官は朝日新聞記者の取材を受けたことは事実であるが、法務省としての見解を出すことは否定している。
「法務省としては見解を出せない」と断っている。
彼が言うように、法律解釈が妥当か判定する権限は裁判所にあるのであって法務省にはない。

「個人的見解」として断って述べたのは以下のとおりである。

刑法190条の法益(法律が守ろうとしているもの。法令がある特定の行為を規制することによって保護、実現しようとしている利益)は「死者、死体、遺骨に対する社会的風俗としての宗教感情」であろう。
散骨は外形的には遺骨遺棄にあたるが、その目的とするものが遺棄とはならない「正当な目的」となっているか、かつその方法が「相当の節度」をもって行われているかが検討されるべきだろう。そうしたことの綿密な検討なしに即違法であるとは判断できない、と述べたのである。

つまり「一法曹人としての考え方」を述べたのであって、けっして「節度をもって行えば散骨は合法」という「法務省見解」を述べたものではない。
ましてや「記者クラブを通じて発表したもの」(『墓地埋葬をめぐる現状と課題の調査研究 令和2年度総括研究報告書』(研究代表者 喜多村悦史)p7)ではない。
さらに朝日新聞記者は、目的は問わず、方法においても「相当の節度」を「節度」と簡略化して表している(これは障壁を低くするために意図的に!)。

■散骨が合法であるための検討課題

そこで私たちがあくまで個人的に話して一致したのは、散骨の目的が「遺骨処分」ではなく、あくまで遺族等の死者を葬送することにあり、かつ方法が法令遵守はもとより、他者の権利を侵害せず、周囲の人の感情を損ねない等の相当な配慮が行われているかが問題となるだろう、ということであった。

そういうことで問われるのは、本人の意思が明らかであるのが第一で、本人の意思が明確でなかった場合には二次的に遺族等の意思が文書等で明らかであることが必須条件であろう。
かつ方法が、場所としては他人の所有地、生活用水として用いられる河川等、養殖場や海水浴場の付近等の生活環境に不安を与える場所は回避し、また骨片であることがすぐわかって不快な感情を与えかねることを避けるため原型が残らないよう細かく砕くことが必須条件となるだろう。

■散骨への嫌悪感情

 

意外と無視できないのは「散骨は嫌い」とする感情である。
「遺骨は大切に墓に埋蔵され供養されるべきものであるのに、それを放棄するが如き散骨は好きではない」とする考え方である。
こうした散骨への感情をもつ人が散骨の合法性へ疑義を抱く可能性が高い。

死者の葬送というのは民族的、歴史的に多様であるという事実を喚起する必要がある。

日本においても、墓を(古代の共同墓地を除き)民衆の多くが持つようになったのは戦国時代、近世の夜明けと共にであった。
石の墓は主に江戸期以降のことであり、ましてや「〇〇家の墓」が流行したのは明治末期以降のことである。

自然に還元する風葬(ふうそう)は、外形的には死体遺棄と峻別不可能であるが、古代から中世まではごく一般的な葬法であったし、近世までは珍しいものではなかった。(文字どおり遺体を海や山に置いてくる風葬は散骨を超えた自然葬であった!)

火葬も6世紀以降見られたとはいえ、また天皇家や貴族では古代より一般化されたとはいえ、江戸期でも大坂や江戸の大都市や真宗門徒では珍しいものではなかったとはいえ、1896(明治29)年には火葬率は26.8%にすぎなかった。
日本においては、現在は火葬率ほぼ100%なので土葬は奇異に感じるかもしれないが、わずか200年前には土葬こそ一般的であった。

特に北米では火葬率が急上昇中とはいえ日本より火葬率は低い。しかし火葬と散骨の親和性は日本よりはるかに高い。

家族の形態も2000年以降多様化が激しい。
個人の嗜好性も著しく多様化している。
こうした状況にあって葬送もまた多様化している。

好き嫌いで規制する時代は終わりを告げたと思う。
多様な考え方をもった人たちがいかにして社会的に共存していけるかを模索する時代に突入しているように思う。

※遺骨と焼骨
墓地埋葬法では、火葬された骨は「焼骨」である。
刑法190条は「遺骨」とある。
「遺骨」には墓に埋葬(土葬)された死体が骨化したものも含むであろう。では火葬された骨である焼骨は全て「遺骨」になるのか、は否である。
そうであるならば主に西日本の習俗である部分拾骨地域はみな「遺骨遺棄」していることになる。
習俗は罰せられない。
そうして解釈として共有されているのは、火葬後に供養等を目的として拾骨(骨上げ)された骨を「遺骨」とする解釈である。
全国で骨壺(骨箱)は東日本と比して3分の1、5分の1程度と大きさが大きく異なる。
拾われなかった骨には名がない。

■北海道長沼町「散骨禁止条例」の経緯

散骨をめぐって不幸であったのは北海道長沼町が「散骨禁止条例」を出さざるを得ない事態が発生したことであった。

2004年、民間事業者が長沼町において民間墓地の開設を目的としたところ開設許可を得られず、その敷地を「樹木葬森林公園」として散骨用に売り出した。
この事業者は「樹木葬」についても「散骨」についても無知で定見も欠いた。
「遺骨は焼骨されたものとし、樹木の根元約50センチ程度に焼骨をそのまま散骨」
という無茶ぶり。
当然にも地元民の反発を招き、長沼町では2005(平成17)年に散骨禁止を内容とする「長沼町さわやか環境作り条例」を作った。
条例の名目は地域環境美化推進を目的とし、その内容として「何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない。」とした。

地方における散骨に関する条例作成の最初が、あまりに常軌を失した民間事業者の暴挙にあったことを忘れてはならない。
(この項続く)

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/