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0葬登場の背景 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)
―その1
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データ等は2014年執筆当時のまま。
内容
葬送の変化をどう読むか
①墓の変化
この間の葬送の変化は著しい。
墓は、江戸時代は集合墓も見られるものの個人墓が主体。
明治末期以降、「家墓」形態が主流となった。
1970(昭和45)年頃以降、都市化の進展による都市移住者の墓需要が拡大、大都市周辺で墓ブームが生じる。
民営霊園の多くがこの時期以降にできたものである。
都市移住者用のものだから「家墓」形態をとるものの、実態は「核家族墓」であり、将来的な継続性を保障しているものではない。
また、都市移住者には単身者、子のない夫婦も多く、従来の家墓システムにはマッチしない例が少なくなかった。
地方もまた過疎化、子どもたちの都市進出、おびただしい高齢化により墓の継承が問題となっている。
地域によるが明確な承継者、使用者不在の墓が4割というところも少なくない。
そこに1989(平成1)年以降に跡継ぎ、承継者を必要としない永代供養墓(合葬墓、合葬式墓地)が話題となり、変化が始まった。
1991(平成3)年には「自然葬」と名づけられた「散骨」が登場。
1999(平成11)年には墓石、カロートといった人工物を用いない「樹木葬」が登場した。
またバブル景気崩壊は民営墓地に多大な影響を与えた。
土地入手と造成に高い投資を行った墓地が売れなくなり、大規模霊園業者が経営危機に見舞われた。
小型墓地が販売の主流となった。
不景気となり、墓需要が急激に縮小した。
葬儀は遺体という生ものを扱う。
その遺体は、エンバーミングをするのでなければそんなに長い期間保全するのは無理である。
火葬までそんなに待てない。
しかし火葬を済ませた後の遺骨は腐敗等の惧れはない。
自宅で遺骨を保管するのは違法ではないし、一時的に保管してくれる寺もある。
夫婦のみの世帯の場合、一方が先に死ぬと遺された者は自分の死後に一緒に遺骨を埋蔵するなりしてほしいと希望する例も少なくない。
それは墓があるかどうかとは無関係である。
遺骨はしばしば他者にとっては気持ちが悪いなどの感情を誘発するものであるが、家族の遺骨に対してはそうではない。
墓はいくらでも待てるものなのである。
この点の認識が島田に欠けている。
四十九日までに遺骨を墓に埋蔵する慣習については、よく寺の住職が説くが、仏教の教理に基づくものではない。
この慣習は、遺族の感情というより親戚がまた集まるのは面倒という理由からである。
四十九日後は後飾り壇がなくなる、といっても、ほとんどダンボール製の壇は、撤去されなければならないというものではない。
壇を撤去するにしろ、骨箱を置くのに、代わりとして簡単なテーブルを用意すれば済む。
贅沢さえ言わなければ1万円以内で購入できる。
つまり四十九日まで遺骨を墓に埋蔵すべきとする根拠はない。
遺族の感情に任せるべきことである。
現在、年間死亡者の約3割が新規に墓の購入を検討している人たちである。
数にして年間約30~45万にのぼる。
その3分の1は、永代供養墓、散骨、樹木葬等の承継を必要としない新しい形態の葬を選択するまでになっている。
墓の世界も確実に変化してきている。
墓地事業者にすれば死者が増えても墓、墓石の購入増に即つながらなくなっている。
②葬儀の変化
葬儀では、1985(昭和60)年頃から斎場(葬儀会館)の建設が盛んになった。
80年代中期までは自宅葬が主流であったが、90年代の末には斎場(葬儀会館)葬が7割を超えるまでとなった。
今や自宅葬は少数派で1割内外に留まる。
今「葬儀が小型化した」と言われるが、葬儀が大型化したのは1960~90年代の初頭まで、つまり高度経済成長期からバブル景気の崩壊までの時期にすぎない。長くて30年間程度のことである。
今では考えられないことだが、会葬者を200~400人集める葬儀が普通にあった。
この時期、葬儀は肥大化して社会儀礼偏重となり、葬儀がもつ本来の「死者を弔う」ことよりも「死者を顕彰」するものとなった。
遺族等の「近親者の死別の悲嘆」に優先して「会葬者への失礼のない接待」が優先されるようになった。
私はこの時期の葬儀の変容が、多くの遺族の気持ちを傷つけ、その後の葬儀への忌避感を招く原因の一つとなったのではないか、と推察している。
この時期、戦争体験者には、戦時中に充分な死者の弔いができなかったことへの悔恨があり、「立派な葬儀」が死者への供養になるのでは、という錯覚があった。
現在60歳以上の比較的年齢の高い層ほど「葬儀の簡素化」を希望しているのは、現在の家族の状況から葬儀にお金をかけられないということもあるが、遺族の感情を犠牲にした苦い身内の葬儀体験があったからではないか。
戦前の昭和前期に、大都市で葬列の代わりに告別式が登場し、その装飾壇として輿型祭壇、また宮型霊柩車が登場した。
1953(昭和28)年頃から輿型祭壇、宮型霊柩車が全国に展開を始め、1965(昭和35)年以降は葬儀を象徴するものへとなった。
これに伴い、葬儀の社会儀礼色が強くなり、会葬者も拡大、増加する傾向を強めた。
ところが1991(平成3)年のバブル景気崩壊、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災を契機に「家族葬」が人気となる等の葬儀の個人化、小型化が進むところとなった。
2000(平成12)年頃からは葬儀をしない「直葬(ちょくそう)」、通夜を行わない「一日(いちにち)葬」が話題となる。
2011(平成23)年の経済産業省調査では、平均会葬者数が114人、100人未満の葬儀が3分の2を超える等、簡略化、小型化がまさに進行中である。
葬儀費用の低廉化が進み、高齢化に伴い死亡者数は増加しているが、葬儀の売り上げは逆に減少し、葬儀市場は縮小している。
社葬も少なくなった。
今はホテルで行う「お別れの会」が一般的になった。
今や宮型霊柩車の使用率は1割以下となり、輿型祭壇も凋落現象となっている。
葬儀も墓も高度経済成長期をモデルとする時代は完全に終わっている。
ここでもクオリティ(質)が問われる。
死者と充分に別れる時間、空間があるか。
宗教者も死者、遺族の想いを背負って葬儀を営むことができるか、ということである。
小型化に伴い、価格が安価な葬儀は死体処理的に扱われて当然、とする空気が漂い、色濃くなっていることを危惧するのは私だけではないだろう。
会葬者の多い少ないは現在の状況の問題の本質ではない。
人は関係の中で生き、死ぬのである。その死が尊厳をもって扱われ、弔われるかが問題なのである。
死者を弔うことの切実さを東日本大震災でさんざん学んだはずではなかったか。それを忘却するのはあまりに早すぎる。
③これまでもあった「0葬」
まず、火葬の現状を見ておこう。
葬りにおいては、墓地埋葬法(墓地、埋葬等に関する法律)上では「火葬」だけではなく、「土葬」も許されている。
しかし自治体が土葬を禁止したり、土葬は土葬可能な墓地に限定されていたり、戦後は新しく開設された墓地のほとんどが火葬後の焼骨の埋蔵に限定されていたりして、現実には土葬は例外的にしか行われていない(墓地埋葬法上で用いられる「埋葬」とは「土葬」の意である)。
『平成24年度衛生行政報告例―埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数』(厚生労働省)によれば、死体総数(胎児を除く)は129万1681体、うち火葬は129万1444体、埋葬(土葬)は237体に留まる。0.02%である。
『平成8(1996)年度衛生行政報告例―埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数』(同)を見ると、死体総数(胎児除く)91万2132体のうち埋葬(土葬)は9568体あった。
1.05%である。
これと比較しても土葬は更に「稀な例」となる方向に進んでいる。
今回の「0(ゼロ)葬」では土葬は前提とされず、あくまで火葬を前提としている。
直葬に加えて火葬後において骨上げをしない形態を言う。
もっとも「直葬」が以前から福祉葬(生活保護の葬祭扶助に基づく葬儀)であったものである。
それと同様に、骨上げせずに帰る遺族関係者の存在は知られていた。
東京のJR環状線山手線の網棚に置かれる骨箱の都市伝説はおそらく70年頃から語られていた。
「0葬」は、これまでは生活環境や経済環境のせいで、あるいは隠れて行われていた形態が、明白な意思表明として行われるという意味で新しい葬の形と言えよう。
もとより人が死んで、長期間何もしなければ、家に置いているだけで死体遺棄罪に問われる。
文化的な葬りである葬儀を行わないでも、死亡届を自治体に出し、物理的な死体処理である火葬または土葬をして葬る義務が生じる。
しかし、骨上げ(拾骨)するかどうかは法律に記載されていない。
記載されているとすれば、各自治体の発行する火葬許可証か、各火葬場に火葬を委託する段階での使用規則のいずれかである。
■「0葬」の法的な検討
墓地埋葬法には、焼骨を埋蔵するには墓地として許可を得た場所にある墳墓へ、焼骨を収蔵するには納骨堂として許可された施設でなければならない、と定められているが、埋蔵も収蔵もせず遺族が自宅に保管することについては定められておらず合法と解されている。
焼骨はいったん骨上げされれば刑法に言う「遺骨」になるので、これを捨てることは遺骨遺棄罪に相当する。
遺族以外の人に預けることは納骨堂以外には許可されていない。
遺骨を墓地以外に撒く散骨(自然葬)については、法的規定はないものの、あくまで遺棄を目的にするのではなく、「葬送を目的として相当の節度をもって実施される」ならば違法とは言えないというのが法曹関係者の多数意見である。
「相当の節度」については、原型を留めない程度まで粉骨する、他者に風評被害をかけかねない場所では行わない、という範囲での自粛策は求められている、と解されている。
今回の焼骨の骨上げ(拾骨)を行わない「0葬」は、自治体の火葬許可条件、火葬場の使用規則に火葬の前提として拾骨を行うことが)記載されている場合を除き、法律的には定められていないので、違法性はないように思われる。
だが、法的にも課題は残る。
火葬を行うということは、焼骨の全部ではないにせよ一部でも拾骨されるということを暗黙の前提としているので、拾骨を一切しないことには相当の理由を必要とするのではないか、という意見もあろう。
ただし、外国の例を見るならば、火葬後に遺族が立ち会っての拾骨慣習がある国はむしろ少数なので、遺族による拾骨を火葬という葬法自体が前提としている、と解するのは困難なように思われる。
問題は、こうした葬法が、文化的、倫理的に是認できるか、ということにあるのではないか。
死者との関係を物理的にも絶つ、ということを明らかにする葬法はいかがなものか、という問題であろう。
前にも記述したように、これまでも隠れて実施された例はある。
火葬中に遺族がいなくなったり、骨上げの受け取りを拒みとおしたり、骨箱をわからないようにどこかに置いてきたり、遺骨の受け取りに現れなかったりした例は、少数ながら、現実に存在する。
しかし、これらのほとんどは秘かに行われたものである。
また、使用料が安価な納骨堂に預けっぱなしで期限が経過してもそのまま、というのも心理的には「0葬」に近いだろう。
1960年代以降の社会の歴史的な変化の流れの中に「0葬」の提案がある。
④戦後社会の変化
日本の戦後社会の大きな変化の一つが高度経済成長期に生じた都市化であり、地方の過疎化、それに伴う地域社会の崩壊である。
都市では産業化の流れの中で企業共同体とでも言うべき文化が出てきて、これが都会では、一時期は地域共同体に代替するかのような動きをした。
しかし、91年のバブル景気の崩壊に始まり、08年のリーマンショックによって、終身雇用、年功序列という、企業が従業員の面倒を見る余裕がなくなり、それと共に企業共同文化もまた崩壊する。
この中で進展したのが「高齢化」という問題と「家族の変容」という問題である。
高齢化の指標である「高齢化率」とは65歳以上人口が全人口に占める割合であるが、日本は1970(昭和45)年に7%を超え「高齢化社会」になり、以降高齢化は著しく進み、94(平成6)年に14%を超え「高齢社会」に、2007(平成19)年に21%を超え「超高齢社会」になった。日本の高齢化は今や世界一である。
また「家族」も大きく変容した。
戦後日本の平均世帯人員の推移を見ておこう(国民生活基礎調査)。
55(昭和30)年 4・68人
65(昭和40)年 3・75人
75(昭和50)年 3・35人
85(昭和60)年 3・22人
95(平成7)年 2・91人
05(平成17)年 2・68人
12(平成22)年 2・57人
7年の間に55%まで世帯人数は縮小している。
非婚率も増加しているし、離婚も増えている。
家族は永久なものではなくなった。
単独世帯は55年10・8%だったのが89年に20%、12年には25・2%と、2・4倍に増加。3世代世帯は今や全体の7・6%に過ぎない。
高齢者を支える地域、家族共に大きく変容し、支えることが困難になり、行政もまた介護保険制度を設ける等の対応をしているが、その対応で間に合わないどころか、支援そのものの減額、効率化を図らないと維持できない段階にきている。
(続く)