「0葬」とその批判 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その3

前回まで
0葬登場の背景 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その1
https://hajime-himonya.com/?p=5103

葬送の変化をどう読むかー 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その2
https://hajime-himonya.com/?p=5106

【お断り】データ、肩書等は2014年の執筆当時のまま。

「0葬」とその批判

①島田裕巳が提案する「0葬」

島田裕巳は、2014年1月に著した『0葬―あっさり死ぬ』(集英社)で次のように提言している。

土葬では、遺体を墓地に葬ったところで一応の区切りがつく。なかには詣り墓を造って、そこで供養を行なう家もあるが、誰もがそうしなければならないというわけではない。基本は、埋めたら終わりである。
火葬の場合にも、火葬した時点で終わりにしたらどうだろうか。
遺骨の処理は火葬場に任せ、それを引き取らないのである。
これは土葬し終えた状態と同じになる。
それが0葬である。

つまり《葬儀をしない(直葬)で火葬場に遺体を運び、火葬後は拾骨(骨上げ)をせずに帰る》

これが島田の言う「0葬」である。

初代会長の安田睦彦の跡を継いで、自然葬(散骨)推進団体の特定非営利法人「葬送の自由をすすめる会」の2代目会長に就任。

改革案の一つとして打ち出したのが「0葬にすれば自然葬すら必要ないではないか」という提言である。

会では意見は大きく分かれている。

「0葬こそ求めていたもの」と歓迎する人たちと、「自然葬を葬送として選んで入会しているので会の趣旨からの逸脱」だとする人たちと、大きく意見が2分している。

島田は、会がどちらかを選択するものではなく、「0葬」も一つの選択肢として示したもの、という立場を示している。

しかし、島田は直葬、自然葬の先にある簡略化の究極として0葬を提唱しているように思う。
ここに会員の0葬への歓迎も、困惑も反発もある。

島田は『週刊現代』(平成26年6月23日号)のインタビューに答えて、
「ここ数年の間に、葬儀についての考え方は、急激に変わっています」
と、述べている。

「ここ数年」というのは便利な言葉である。
島田にすれば2010年に著し、ベストセラーになった『葬式は、要らない』(幻冬舎)、2014年1月に著した『0葬―あっさり死ぬ』(集英社)が葬儀変化を牽引しているつもりなのかもしれない。

私に言わせれば「後追いの島田」で、世間の風潮が変化すれば、それに乗って変化の後押しをする。

たとえば『葬式は、要らない』にしても、2000年頃から誕生した「直葬ブーム」に乗ったものである。

今回の「0葬」にしても5~6年前から特に関西地方で明らかになった「遺骨を拾骨しない近親者」の登場とその報道を受けてのものである。

また、今回の「0葬」の主張は、2011年の経済産業省「ライフエンディング・ステージ」、本田桂子『終活ハンドブック』(PHP研究所)等が引き金になった「終活ブーム」を背景としたものである。
そこにあるのは「迷惑をかけない死に方」願望である。

②大往生時代に悼むことは不要か?

島田の意見の背景には、戦前日本と現代日本との差についての認識がある。

《戦前は戦争、天災、疫病で天寿全うは限られた者にしか許されなかった。しかし、現代日本は、豊かな暮らしを多くの人々が享受できるようになり、平均寿命も約80歳になった。「大往生の時代」で、さんざん生きている間は人生を謳歌したのだから、最後は遺体処理でいいではないか》
というのが島田の認識である。

ここにある認識に根本的な疑問がある。

今の超高齢社会にあって、高齢者が生きることは迷惑であり、死んだからといってきちんとした葬送は不要だろう、とする考え方である。

〔注〕日本は前述のように、2007(平成19)年に高齢化率が21%を超え「超高齢社会」に。2013(平成25)年には25・1%(65~75歳12・8%、75歳以上12・3%)。2012(平成24)年の平均寿命は男性79・94年、女性86・41年。

確かに今日本が抱えている問題は、超高齢社会となり、今後はさらに進展しようとしている高齢化を社会がすでに担えていないことからくる問題が多い。

日本は最先端を進んでいるが、アジアでも韓国、中国では高齢化が進んでいるし、あるいは日本を追い越すかもしれない勢いである。
欧米先進国は軒並み高齢化の道を進んでいる。

だが《「大往生」なのだから「0葬」でいい》という考え方の背景には、《高齢者介護は負担、迷惑》という認識があるのではないか。

《子どもや若者、壮年の「中途の死」は悼まれて当然だが、80歳以上の高齢者の死(今や全死亡者数の半数を超えている)は、生を全うしたのだから、もはや悼む対象ではない》という考え方、価値観があるのではないだろうか。
これはとても危険な考え方ではないだろうか。

もちろん、長寿のみを生の価値とする考え方にも疑問がある。

しかし、80歳以上の人の葬りについて簡略を価値の最優先とする考え方には「高齢者差別」とでも言うべきものがあるように思う。

個人的なことを言うならば、4月に72歳の姉をがんで亡くし、先日仙台に行き、老健(介護老人保健施設)に入所している89歳の叔母と今は特養(特別養護老人ホーム)に入所している、私たちきょうだいが子どもの頃から家族同様にお世話になった、かつて保母(当時)であった96歳の老人に、姉の最期を報告した。

この2人の老人は
「何で? 私たちのような老人が生きていてユコチャン(姉の愛称)が死ななくてはいけないの?」
と強く嘆いていた。
この老人たちの悲哀を島田はわかるだろうか。

生きる、死ぬは人間の自由意思でどうにもなるものではない。

すべてが高齢になって死ぬものではない。
高齢に価値があるのではない。
あらゆる生と死はそのままで尊いのだ。
それが「いのちの尊厳」ということである。
悼まれなくていい死なんでどこにもないのだ。

東日本大震災でも子や孫を津波で攫(さら)われた高齢者が嘆いていた。
「何で私が死なないで、子や孫が…」。

子の死、孫の死は高齢者にとって辛い、心を深く傷めるものであったろう。
しかし、遺された高齢者が子や孫を悼み、弔い、生きることも尊いのだ。
そこには選択の余地がないのだ。

③高齢化が問われる

 

島田の考え方の偏(かたよ)りは次の文章にも見られる。

葬儀は要らない。
そんな時代が訪れている。
葬儀を行っても参列者がそれほど来ないのであれば、通夜をやったうえで、翌日葬儀・告別式をやるまでもない。家族や近しい親族だけが集まる家族葬で十分だ。それが現在の傾向である。さらには、直葬でもかまわないという風潮が生まれている。
葬儀に金をかけても仕方がない。そもそも、長寿が実現されたことで、老後の医療や介護に金がかかり、葬式に多くの金を費やすことができなくなっている。
何よりも、都市では緊密な人間関係を結ぶ地域共同体が存在しない。共同体があれば一人の死は大きな出来事になるが、都市では個々の家庭は周囲の家庭と緊密な関係は結んでいない。
病院で亡くなり、葬儀は葬儀会館でということになれば、近隣の住人が故人の死を知らないままということもあり得る。
あるいは、孤独死や無縁死ということも増えている。
高齢者が独り暮らしをしていれば、そうした事態に直面しやすい。独り暮らしをしているということはほかの家族と縁が薄いということで、亡くなっても葬式をあげてくれる家族がいなかったりする。
たとえ家族や親戚がいても、何年も交流がなく、ほぼ音信不通ということであれば、関係者はもう縁が切れているということで葬式を挙げようとはしない。その人間は、家族や親族にとってはすでに死んだも同然である。(略)
たしかに、このまま行くと自分は孤独死や無縁死になるに違いないと考えると、寂しい気持ちになるかもしれない。
だが、自分が死んでしまえば、それで終わりである誰かに面倒をかけるかもしれないが、それはもう自分の責任ではない。寂しいという主体が消滅しているのだから、死んだ後のことまで心配することもない。独り暮らしの高齢者は、孤独死を覚悟している。」

ここにあるのはペシミズム(厭世観)とも少し違う。
ある種の割り切りである。

実際の老後はこんな甘いものではない。
特に80歳を超えて出てくるのは認知症であったり、各種の病気である。
家族がいても家族のサポートが限界になることも少なくない。

かつて昭和の初期は80歳以上の死亡者数が全死亡者数の5%未満であり、稀なものであった。
世話をする家族も一般に多かった。
だから80歳を超えた長寿者たちの死は「大往生」とされ、それにあやかろうと近隣から人が押し寄せ、まるで祝い事の様相を示したようである。

だが現在の長寿者の死には、一部を除いて、そのような様相はない。
島田が言うように高齢者の葬儀には一般的に会葬者が少ない。関係者が割り切って直葬を選択するケースも少なくない。

また、直葬等の小型葬が選択されるのは経済的格差の拡大や家族関係の変化もある。
死にいく人の世話をする人が血縁ではないケースも増加している。
社会的に約1割程度は弔う人が不在というのは事実である。

④弔われる価値、権利

しかし、そうした人が弔われなくていいのか、関係者が少ないから弔いに意味がないのか。

それは違うだろう。

「お金をかければ立派なお葬式」と言われた時代はすでに過去のものである。

島田が『葬式は、要らない』を書いた時、すでに「お金をかけた」「立派な祭壇」「社会儀礼中心」の葬式は急速に支持を失っていた。
だからあの本は支持を集めたのであり、「自分たちが間違えていなかったのを東大の先生が正しいと言ってくれた」と歓迎されたのである。

すでに43歳前後以下は「バブルを知らない世代」である。
私が「バブル期の葬式は間違っていた」と言っても、そもそもバブル期の葬式がどんなものであったか知らない。
今の中高年に「葬列」の話をしても見当がつかないのと同じである。

しかし、『葬式は、要らない』が問題だったのは、死や葬式が自宅や地域から離れ、共通理解を欠いていた時代にあって「弔い不要」と理解されたことであった。

特に2000年を境にして死はタブーでもなくなったし、リアルさを欠く方向にあった。

さすが2011(平成23)年3月11日東日本大震災で、そうした浮(うわ)ついた議論はどこかに行った。

今回の「0葬」は、深刻化する高齢社会問題を逆に利用して、高齢死者遺棄、高齢死者処理を開き直って正当化したようなものである。

まるで難病患者が、周囲に迷惑をかけているという申し訳なさを利用しかねない、自由意思に基づく尊厳死推進の法案のようなものである。

難病患者が「これ以上周囲に迷惑をかけたくないから自由意思で尊厳死を選ぶ」という危惧を払拭(ふっしょく)しないままと同じである。

「迷惑をかけたくないから0葬でいい」と主張する高齢者は少なくない。
その申し訳なさ、これ自体は全く根拠のないものである。
それを利用して煽っているのではないか。

私は、何もお金をかけよ、と言うのではない。
すべての死者は弔われるべき価値があり、権利がある。
その権利は保障されるべきである、と思う。

私の父は87歳で死亡した。
世間の基準では、言うことのない、理想的な「大往生」であった。しかし身体はボロボロ、意識がしっかりあったので下の世話を他人にしてもらうことの屈辱感を死ぬまでもっていた。

母は99歳の誕生日を迎える1カ月前に死亡した。
認知症歴約15年で、実子を目の前にしても認識できなくなっての死であった。

そうした高齢での死であったが、いずれの場合も、私は、火葬場での骨上げでは、職員に近親者だけにしてほしいと言い、その地域の習慣(部分拾骨)を無視して、子や孫、親族の手ですべての焼骨を拾骨した。
そこにあったのは寂寥(せきりよう)感と同時に親への自分たちなりの愛情であった。

島田が指摘するように、骨上げは東日本が全骨、西日本が部分と大雑把に言えば分かれている。
だから焼骨(火葬された骨)をすべて「遺骨」と解すると、西日本の習俗は刑法190条「遺骨遺棄罪」となる。
習俗は罰せないので、骨上げした焼骨、関係者が拾い上げた焼骨のみが「遺骨」と解される。

両親の火葬は九州で行われた。
火葬場の職員も部分拾骨するものと思っていて、その説明をし出した。
今思えばその職員が悪いのではなく、部分拾骨のみの選択しかない、と教育されていたことが間違っていたとは思う。
親と死別した直後の余裕のなさもあって、私は「説明は言いから出て行ってくれないか」と拾骨室から職員に出るように言い、家族皆に「さ、拾え」と号令をかけていた。

職員は呆(あつ)気(け)にとられていたが、親族は誰も不審に思うことなく、親の話をしながら一心不乱に拾骨していた。

こうした個人的な体験からも、私には「高齢者だから0葬してもいい」ということを選択する余地はない。

遺骨にこだわるのは、世界的に見ても東アジアが特異なようだ。

そしてほとんどが火葬するまでは遺族等関係者の役目と認識しているが、近年、火葬後は「拾骨し、遺骨を保持するのは厄介だ」として、火葬場で「後から遺骨の引き取りを主張しない」旨の文書に署名して一切拾骨しないで帰る遺族等関係者も出ている。

火葬場関係者に聞くと、遺骨を引き取らないケースは、レアケースとはいえ、ここ数年だけのことではないという。

私はこうしたケースに、拾骨への強制力を発揮せよ、と主張するものではない。
また無理強いして遺骨を持ち帰らせてもどこかに捨てられる可能性が高い。
だから拾骨はどこまでも任意でいい。
だが、骨上げをしない(つまり「遺骨」はない)ことを奨励する理由もない。

骨上げしない遺族は増加するかもしれない。
しかし、それがどうした、と言うのだ。
0葬を「歴史的必然」とする感覚は少なくとも私にはない。

④煽りの言論

前著『葬式は、要らない』でも島田自身は全面的「葬式不要論」を展開しているのではなく、「贅沢な葬式」を批判し、家族葬的なこぢんまりとした葬式を主張したものである。

編集者がつけたタイトル「要らない」が刺激的で、ゆえに本は売れた。
まさに発行元である幻冬舎が販売戦略で勝利したのである。

島田にすれば二匹目のドジョウ狙いである。
「0葬をすべきだ」ではなく、「0葬の自由もあっていいのではないか」というのが真意であろう。

だが『要らない』にしても『0葬』にしても、目的としては売文業の島田と出版社の「売れる」ことを目的としたものであり、哲学的信念があってのものではない。
社会的風潮を弄るがごとき行為は適切とは言えない。

島田にすれば「一つの提言」のつもりであろうが、読む者、他のマスコミを煽るものとなっている。

遺骨をどう扱うか、という、極めて個人的で社会的には慎重な配慮が求められている問題を、単純化するのはかなり危ない。
それは現に、遺骨遺棄のみならず、死体処理的な風潮が社会の底にあるからである。
島田はその風潮に乗り、本を売って利益を得ようとした、と言っても過言ではなかろう。

島田裕巳が個人的に発言するのは自由である。
これは前提なく認められるべきことである。

しかし、一書き手としては、「死、死者、遺体、遺骨、そして弔い」に対して、「売る」ことを第一に、軽薄な対処を助長するが如き言論は問われるべきである。
同じ一書き手として倫理的に危うい、と思うのだ。

前回の『要らない』では「東大先端科学研究所客員研究員」という「肩書」を用いて「東大の先生が書いた」と権威を利用した。
『0葬』では「葬送の自由をすすめる会」2代目会長の肩書を利用している。
いじましいというか、何かフェアではない。
書き手の独立性、自立はどこに行ったのか。

⑤「0葬」とその批判

島田自身の言葉で「0葬」を改めて説明しよう。
著者が最後に書いている部分である。

「今、もっとも簡単な人の葬り方ということになれば、直葬であり、0葬である。この2つを組み合わせたものが、一番あっさりしていて、費用もかからない。
つまり、火葬場に直行し、そこで荼毘に付した後、遺骨を引き取らないのである。もし、自分たちで遺体を搬送すれば、火葬のための費用で済む。業者に依頼しても、それほどの額はかからない。10万円台だろう。
火葬場によって、遺骨の引き取りを必要とするところと、必要としないところがある。後者でなければ、0葬はできない。これは、あらかじめ火葬場に確かめてみるしかない。「葬送の自由をすすめる会」では、会の機関誌である『そうそう』で、そうしたことについての情報を掲載している。参考にしてほしい。
もちろん、これではあまりにもの足りないと反対する人もいるだろう。考え方はさまざまである。
しかし、ここで重要なことは、どこまで人を葬ることを単純化できるか、最先端の方法を示すことである。
直葬を前提とした0葬は、遺体処理に近い。儀礼的なものを排除しているからである。骨上げさえ必要ではない。
ただ、遺骨はゴミとして処理されるわけではない。細かく砕かれ、量はごくごく少量になり、しかるべき場所で供養されることになる。ゴミの処理の仕方とは異なっている。
今後、多くの人が0葬を望むようになれば、それに対応する火葬場も増えていくだろう。
0葬がどこでも可能になるならば、死後の不安は解消される。死にゆく者も生き続ける者も、葬儀や墓にかかる金のことで心配する必要はなくなる。」

そして結びで、述べる。

「遺体は適切に処理し、後にめんどうがかからないようにする。それこそが、死にゆく者にとっては自らの『死後の不安』を根本的に解消することに繋がり、生きている者の負担を軽減する道なのである。」

死、死者を一人称の問題として論ずるのは近代主義者の論理でしかない。

死はあくまで関係の中で発生する。
周囲の人間の数ではない。
そして血縁ですらない。

巣鴨(東京)の街のように、高齢者が自らピンコロリと死ぬことを願望することは自由である。

しかし、生と死は誰もが自由意思でできるものではない。
できたと思う例があったとすれば、それは偶然でしかない。

そして誰の生も死も尊厳をもっているのであり、弔われ、葬られる権利があるのだ。
この確認は、この社会に生きる基本であるように思う。

死は弄(もてあそ)ぶ対象ではないのだ。


【注記】私は島田の宗教学者であった過去を充分に評価している。特に『戒名』(法蔵館、1991年)は名著である。

1992年以降のオウム真理教に関わる問題で不幸にも社会的中傷を受けて、1995年に日本女子大教授職を追われ、学者として生きることから追放された。
以降、彼は主としてライターとして生きることを強いられた。
そこで過剰な論理展開に走ることとなったように思う。0葬も過剰な展開が生んだものではある。
私は島田と『葬式は、要らない』、『0葬』では、テレビや公開討論の場で論争を繰り返した。意見は異にしたし、激しく論争した。
しかし、実際はそれほど距離があるとは思っていない。私は島田の過剰さが強く気になっていて、過剰を招いたことを不幸と思っていた。したがって、島田個人についてはさらさら問題にしていない。ここではあくまで論理のこととして論じている。

2014年に書いたものを復刻するにあたり、私の想いを記しておく。

 

(付録)年表で見る近年の葬送とその環境の変化
1989~2014

葬送とその環境の近年の変化を表面的に見れば次のようになる。

①1989~99年

1989(平成1)年
・昭和天皇の崩御、大喪の儀。大喪の儀で洋型霊柩車が使用されることで、以降宮型霊柩車の使用が減少する。この頃から跡継ぎ不要の永代供養墓が人気に。
・この頃から斎場(葬儀会館)の建設ラッシュが2005年頃まで続く。
・この頃から通夜の告別式化が進む。宮型霊柩車の人気が低下する流れとなる。

1991(平成3)年
・バブル景気崩壊
・葬送の自由をすすめる会が「自然葬」(散骨)を行う。
1994(平成6)年
・日本でエンバーミングについての自主基準をIFSA制定
・高齢化率が14%を超え「高齢社会」に。
1995(平成7)年

・阪神・淡路大震災
・この頃から「家族葬」が人気になり、葬儀の個人化、小型化が進む。同時に「自分らしい葬儀」をキーワードとして話題になった「自由葬」(無宗教葬)は人気倒れ。
・この頃から葬祭業への新規開業、他業種資本の葬祭業への新規参入が増加し始める。

1996(平成8)年
・オウム真理教宗教法人格を喪失(87年設立。89年坂本弁護士一家殺人事件等非合法活動。95年地下鉄サリン事件)
・葬祭ディレクター技能審査を労働省(当時)が認定、第1回試験実施
・この頃から僧侶派遣プロダクションが目につき始める。
・葬祭業が「サービス業」に大きく舵を切り始める。
1997(平成9)年
・「脳死」判定を伴う臓器移植法施行。
1998(平成10)年
・感染症法施行。
・自死者年3万人突破。
・日本、100歳以上の高齢者1万人を突破。
1999(平成11)年
・樹木葬墓地が岩手県に誕生。

②2000~2009年
2000(平成12)年

・この頃から「直葬」が話題に。また、死後に病院から自宅に帰る習慣が急速に減少。
・生花祭壇、メモリアルコーナーが人気となる。
・消費者契約法施行
2001(平成13)年

・9・11米国同時テロ
2002(平成14)年
・中国でSARS発生。
・この頃からインターネットを介した葬儀社紹介サービスが話題になる。
2005(平成17)年
・公正取引委員会が最初の葬儀業を対象とする調査を実施。平均会葬者数132人(90年頃と比較して53%減)
・金融庁が小額短期保険。葬儀共済を禁じ、葬儀費用用の少額短期保険に変更を促す。
・この頃から斎場(葬儀会館)の小型化、多店舗展開が始まる。
・この頃から「孤独死」が話題に。
2007(平成19)年
・高齢化率が21%を超え「超高齢社会」に。
2008(平成20)年

・リーマンショック
・中国四川省大地震
2009(平成21)年
・臓器移植法が改正。
・新型インフルエンザについて話題に。
・青木新門『納棺夫日記』が原作の映画『おくりびと』が米国アカデミー賞外国語賞受賞し、話題に。

③2010年以降
2010(平成22)年

・ハイチ地震
・NHK『無縁社会』放映。引き取り手のない遺体が年間3万2千人(うち1千件が身元不明の行旅死亡人)
・島田裕巳『葬式は、要らない』20万部のベストセラーに。
2011(平成23)年
・東日本大震災
・経産省「ライフエンディング・ステージ」報告書。会葬者数100人未満の葬儀が全体の3分の2を占め、小型化がさらに進む。

・「終活」ブーム始まる。
2013(平成25)年
・高齢化率は25・1%(65~75歳12・8%、75歳以上12・3%)。12(平成24)年の平均寿命は男性79・94年、女性86・41年。
2014(平成26)年
・インターネットを介しての葬儀仲介サービスが盛んになる。

 

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/