弔いの問い直し―「死者(遺体)の尊厳」とは?

■葬式の原点は何か


・「葬式」の再定義

1995年以降、葬式は確かに表面的には非常に変化している。
現在進行形で変化しており、そのキーワードは「個人化」である。
1920年以降のコロナ禍においては、好む場合ばかりか好まざる場合においても葬式は個人化を余儀なくされている。

しかし、いくら変化しようと、変わっていないものもある。

葬祭仏教の成立期である戦国時代の葬式、昼間に行われるようになった明治時代の葬式、祭壇が照明で煌めいたバブル景気時の葬式、それぞれ様相には変化があるが、原点、基本には変化がないように思う。

変わっているのは死者を取り巻く環境である。
環境の変化に伴い、葬式の形態も少しずつ変化してきている。

原点、基本に関して言うならば、葬式とは、儀式というよりも「人の死を受けとめる作業」全体と定義し直したほうがいい。

社会的に影響力の多い人の場合、関係する人は多数に及ぶが、一般的に言うならば、葬式とは、死者と関係の深い人、たとえば配偶者、親、子ども、きょうだいらの家族、親戚、友人、仕事等の仲間、その他関係を結んだ人が、その人の死に直面し、営む心理的、精神的、宗教的、事務的等の作業一切を言うと考えたい。

その中でも欠かせないのは、

①死者(遺体)の尊厳を守る
②近親者の悲嘆への配慮

この2つに尽きると思う。

そのために死者を弔い、鄭重に遺体を葬る(火葬、土葬等で)作業をするのではないだろうか。

家族の喪の作業を考えることで重要なのは、看取りを充分に行うことと、死後の死者との別れに可能なかぎり時間を取ることであると思う。

とはいっても、看取りは家族が離散し、少数化している現在、できないこともある。
死後もあちこちへの連絡やらで遺体と向き合う時間は案外取りにくいものである。
せめて枕経(都会では姿を消しつつあるが)の時間、あるいは通夜や葬儀の前に1時間でも他に干渉されないで向き合う時間を取ることは極めて重要である。

 

■「死者(遺体)の尊厳」と「遺体へのリアルな認識」

 

・死者(遺体)の尊厳を守る

 

死者(遺体)の尊厳を守る―というのは、死者(遺体)を美しく保つことだけを意味しない。
腐敗した遺体であろうと尊厳をもって扱うということである。

また、その死者が生前どんな評価を世間、社会から受けていようと、その弔いにおいては差別することなく、人格としては等しく尊重して扱うことを意味している。

・遺体へのリアルな認識

最近心配することは人間の身体は死ぬとどうなるか、ということへのリアルな認識の欠如である。

病院で死に、すぐに斎場(葬儀会館)に運ばれ、冷蔵庫に保管され、通夜・葬儀、そして火葬となると、意識していないと遺体に対面せずに葬式を終えることすらある。

冷蔵庫で保管されれば安全と思いがちだが、腐敗の進行が緩やかになるだけで、腐敗が止まるわけではない。

人間も他の動物と同じく、死亡すれば腐敗を開始するのは自然なこと。
魚も1週間も冷蔵庫に入れっぱなしにすれば腐る。

 

・単独死は「無縁の死」か?

1995年の阪神・淡路大震災で、仮設住宅に入居した人が周囲に気づかれることなく死に、その遺体が死後相当経過した後に発見される事例が出た。
これが「孤独死」として注目を浴びた。
2011年の東日本大震災でも、既に仮設住居内で死後相当程度経過して遺体が発見された事例があるとの報道がされていた。

最近では、遺体発見が遅れたのは、死者が社会から孤立していた結果の死として「孤立死」と呼ばれることもある。

単独世帯に住む人が血縁、地縁、社縁、あるいは友人関係という縁から孤立していたから発見が遅れた「無縁者の死」であると言われることもある。

だが、こうした単独死の事例を「無縁者の死」と決めつけ、死者を人間関係が希薄で孤独、あるいは周囲から孤立していたと一律に断ずるのはいかがなものだろうか。

「孤独死」にしろ「孤立死」にしろ、生前の本人を知らない者が、遺体の発見が遅れたという事実からのみで安易に 名付けているようで、はなはだ不遜に思われる。
私は単に「単独死」でいいと思うし、小谷みどりさんが名付けた「ひとり死」がいいと思う。

実際、遺体の発見が遅れた場合、腐敗が進行し、遺体は融解し、体液や血液が漏出し、腐敗臭がきつく、住居も相当にクリーニングしないと再度の利用が困難となる事例もある。

長期間でなくとも死後数日以内でも、夏や入浴中の死であれば腐敗は早く進む。

遺体は腐敗する、という至極当たり前の事実がセンセーショナルにとらえられてはいないだろうか。

・増加し続ける単独世帯

 

2019年の国民生活基礎調査では(2020年はコロナ禍で中止)、単独世帯は28.8%を占めている。(参考:1986年18.2%、2004年24.1%)
平均世帯人員は2.39人(参考:1986年3.22人、2004年2.75人)となっている。
(注)2020年の国勢調査では、1世帯あたり人員が2.27人

現代社会は単独死のリスクを抱えているのは事実である。
しかし死後の形状だけでもって第三者が「無縁死」などの安易な論評をすることで遺された家族の悲痛が増すことになってはいけないと思う。

死者はものを言わない。
しかしその生死(しょうじ)には常に固有の物語がある。
それを知らない者が、あたかも知ったがごとく、死者やその家族を論評することは死者の尊厳への不当な介入ではないだろうか。

 

■葬り 東日本大震災の教訓

 

・東日本大震災での仮埋葬

東日本大震災で、宮城県では約2千人の遺体を仮埋葬された。
それは遺体はそのままでは腐敗がさらに進行し、公衆衛生の危険にさらされるリスクがあったからだ。

土葬が「土に還る」というかつてもっていたロマンはすでに失われ、「土葬は粗末な遺体処理」という認識が徹底されていたことへの想像力を欠いた点に問題があった。

私も想像力を欠いていた一人である。

90年代に福島県の奥会津で、火葬の進展に抗する形で土葬を守っていたことを知っていたので、火葬信仰が東北でかくまで強くなっていたことを想像できなかった。

現地の葬儀社の方が仮埋葬に対して「かわいそうでしかたがなかった」と述懐した時、現地の人たちが東京にいた私や厚労省の担当者より圧倒的な現実認識があったということを知らされた。

・災害死と火葬

遺体の葬りは火葬であるとすれば、結果論だが、今回の対処について反省すべき点がいくつかあった。

火葬場の火葬処理能力についての科学技術的な認識が不足し、火葬回転数を上げることへの安全保証ができなかったこと。
周辺に広域火葬協力態勢がとれなかった地域があったこと。火葬の回転数を増やすことは火葬炉だけの問題ではなく、動かす職員の問題でもあったので、全国から火葬職員の派遣協力があればもっと改善できたこと。

今回の問題をきっかけにして、火葬場の災害時のあり方を根本から見直す必要があるだろう。
これは今回実際に体験して知らされた問題であった。

明治三陸地震・大津波、関東大震災、昭和三陸地震・大津波の場合には、死者は野焼きされたり、大きな穴を掘って投げ込まれ埋められたりした。
だからこの3つの大災害では、死亡者と行方不明者とを区別できなかった。

東日本大震災では、近親者から仮埋葬が拒絶されたことにより、阪神・淡路大震災で秘かに検討された野焼きも東日本大震災での仮埋葬も、今後は選択肢としてはなくなった。

 

■過酷な状況での遺体の尊厳を守る行為

 

・葬儀社が担った仮埋葬、掘り起こし作業

東日本大震災において宮城県の葬祭業者が行った、自衛隊の後に行った仮埋葬および仮埋葬された遺体の掘り起こし、再納棺しての火葬作業は、遺体の尊厳を守る行為として記憶に留められる価値がある。

梅雨時、夏の遺体の腐敗が進行しやすい時期に、体液、血液が漏出し、関節で分離した遺体の取り扱いを、公衆衛生にも考慮しながら、過酷な作業をやり抜いた、ということである。

これらはすべて、遺族の想いを生かし、遺体を大切にし、死者を火葬によって葬ることができるために、と行われたものであった。

実際、いかに過酷であろうと、仮に葬祭業者が断ったら遺体は放置されるのである。
彼らの後には誰もおらず、彼らは最後の務めを果たした。

 

・遺体の変容リスクを高める過剰な終末期医療

通常のケースの遺体であっても1割程度は変容を免れない。
エンバーミングができればいいのだが、その環境にない地域がまだまだ多くあるので、そうした変容した遺体の場合、遺族は他人の遺体との面会を拒絶しがちである。

遺体の早期変容のリスクは、病院死が増加し、終末期の必ずしも適切でない点滴等による過剰な栄養補給により増えている。
これが遺体の腐敗を促進させている。

かつて自宅で看取った時は、口から食物を摂ることができなくなった時が本人も家族も死を受け入れる時であった。
それが死を了解する暗黙のサインであった。

今では自宅で家族がそろって看取る環境が少なくなったために、こうした自然な死の受容が行われる機会が減じた。

死者の尊厳は、終末期の本人への過剰な医療で侵されるリスクがある。
死期に面した人へは、極めて人間的な配慮なくして、尊厳は守られない。

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「弔いの問い直し―「死者(遺体)の尊厳」とは?」への1件のフィードバック

  1. ご無沙汰しております。
    お変わりないようで安心しております。
     記事の見出しをみて、以前発刊しておられたSOGIを思い出しました。
     私たちの教科書。
     昨今のコロナ禍により大切な葬儀の持つ意味が失われてきつつある。まず社会的に死が認知されにくくなくなった。
    「私が後を継ぎます。」という世代交代の場が失われてきた。そして宗教に則った儀式も、尊厳をもっておくることも難しい時代になってきた。また、個人の葬儀になって、交流のあった人達が別れを共有できなくなった。この辺りが踏ん張りどころなのかも。
     でも、こうやって示してくださる方がいらっしゃるということは、葬儀を生業とするものにとっては大変ありがたいことだと思っています。
     続けられる限り勤めたいと思っています。
     時節柄どうぞご自愛下さいまませ。
                 梅田  拝

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