小川なぎささんの生死の記録

毎日新聞専門編集委員の滝野隆浩記者が、今回と次回の2回にわたり、好評ネット連載「令和の弔い」(毎日新聞デジタル)で、角田山妙光寺(新潟市)を院首(前住職)小川英爾さんとともに支えた小川なぎささんの生死について読み応えのあるレポートをしている。
そこで今回本となった闘病記の編集をまかされた者として、私なりの注釈を加えるとともに、闘病記の概略を紹介する。

■角田山妙光寺

新潟市(旧 巻町)の角田山妙光寺は、今では珍しくない永代供養墓(跡継ぎを必要としない墓)の安穏廟を1989年に創設。
実質的に永代供養墓(合葬墓)ブームを牽引した。
 
この後に、
1990年(1989年?)にすがも平和霊園に合葬墓「もやいの碑」が建てられた。
1991年に葬送の自由をすすめる会が相模灘で「自然葬」として散骨を開始。
1999年に岩手県一関市に最初の樹木葬墓地「知勝院」が完成。
と続く。
いわば90年代に起こった「お墓の革命」をけん引した寺である。
 
今では、永代供養墓(合葬墓)も散骨(海洋葬)も樹木葬も市民権を得たとはいえ、最初の志とは遠く、理念が乏しくビジネス化したものが大流行りである。
しかし、80年代末から90年代の安穏廟、もやいの碑、自然葬、樹木葬は日本の墓がもつ問題を大きく問うものとしてあったし、その変革の礎となった。
 

■小川英爾となぎさ

 
この寺、角田山妙光寺の住職(現在は住職を引退して院首)である小川英爾さんの妻がなぎささん。なぎささんは約40年英爾さんと共に寺を支えた。
 
二人の間には4人の娘さん(良恵、なつみ、綾、玲)たちがいる。
「いやー、4人娘は楽しすぎた。これだけで私の人生の最高で最大のエンターテイメントだったわ」と常々語っていた。
 
妙光寺の寺報「妙の光」に「渚から」というコーナーをもっていて、「『妙の光』は後ろにある『渚から』を先ず読む」という檀信徒、関係者がたくさんいるほど人気だった。
 

■小川なぎささん闘病記

 
2018年2月検査でステージⅣの胃がん(進行がん)が発見され、手術で胃3分の2を切除。6月には転移が認められて在宅を基本とした抗がん剤治療を行った。
2020年1月新たな有効な抗がん剤治療がほとんどなくなり緩和ケアに移行。
同年10月15日家族の側で静かに息を引き取った。
60歳の生涯であった。
今年(2022年)が三回忌となる。
 

■滝野隆浩「住職の娘に見せる最期 なぎささんの寺/1」(令和の弔い)

 
毎日新聞専門編集委員の滝野隆浩記者が、今回と次回の2回にわたり、好評ネット連載「令和の弔い」で描く心を揺さぶるレポート。
なぎささんの人生と共に医療関係者、家族とで協働して執り行われた在宅ターミナルケアの実像に迫る。
 
 

■『先に行って待っているから、ゆっくり来てね―小川なぎさの最期 10か月の記録』

 
本年6月11日、小川なぎささんの闘病記が完成した。
残念ながら市販本ではなく、限られた関係者向けの私家本である。
タイトルは
『先に行って待っているから、ゆっくり来てね―小川なぎさの最期 10か月の記録』

 
 
タイトルとした「先に行って待っているから、ゆっくり来てね」は、なぎささんが遺した終活ノートに記されていた自身の言葉である。
この本は副題にあるように、緩和ケアに移行した2020年1月13日から死亡した同年10月15日までの最期の10か月の記録を中心としたもので、B5判154ページに及ぶものである。
以下に目次を示す。
 
「限られた関係者向け」と書いたが、もっと直截的に言うならば想定した第一の読者は4人の娘さんたち、なぎささんの両親と妹さんであった。
今年6月11日に四女綾さんの結婚式が妙光寺で行われ、その翌日になぎささんの三回忌が営まれた。
ここに集まる親族向けに本の企画・編集は家族にも秘して進められた。
まさに夫である英爾さんのグリーフワークの産物である。

150ページの本(そもそもどのくらいの分量になるかも最初はわからなかった)を基になるメール等の原資料があったとしても1か月で作るのは無茶であった。

私は普段は現役を退いた身であるため暇であるのだが、5月は私的には引越があり、珍しく講演、講義がいくつかあってその準備も忙しかった。
だが、工程がどうのという話ではなかった。
30年以上になる英爾さん、なぎささんとの深い交遊が編集者としての自分を引き動かした。長年無理してデザインをお願いしているかもかよこさんを巻き込んだ。
76にしてひさかたぶりの徹夜もした。
だが充実した1か月であった。
かもさんがまた私たちの予期をはるかに超えた仕事をしてくれた。
本がいいものとなったならば、ひとえにかもさんのセンスと熱意の産物である。
私たちもなぎささんのためにだけ仕事をした。
 
本書にも収録した「渚から」のなぎささん自身が書いた檀信徒向けの最後のメッセージ紹介しておこう。
(2019年2月「妙の光」より。病気判明から1年後、ターミナルケアに入る1年前。)
なぎささんの自然な心の勁さがよく出ているように思い、本書に加えた。
 

■霊山浄土でお会いしましょう 小川なぎさ 

元気?の報告 (「妙の光」2019年2月)

おかげさまで、穏やかな毎日です。

寒くなりましたね。いかがお過ごしですか?

昨年病気で休ませていただいてから色々とご心配をおかけしました。
おかげさまで、今は治療をしながら穏やかに毎日を過ごしています。

癌という病気を誤解していまして、再発したときには「もう死ぬんだな」と思って大騒ぎをしました。
(死ぬ死ぬ詐欺といっているのですが)恥ずかしくて穴があったら入りたいほどです。

行きたかったところに旅行をしたり、食べたいものを食べに行ったり、院首さんとも長い時間を過ごし、家族が集まる時間も増えました。
あせるようにやり残したことを考える毎日でした。
割と冷静だったと思うのですが、今考えれば混乱していたのでしょう。
この1年半をやり直したい(笑)

行事においでください

お寺のことはみなさんが支えて下さいました。
もう私がいなくても大丈夫です。

行事も減っていません。スタッフの負担は増えたかもしれませんが、頑張ってくれました。
若いスタッフが増えたので、より気楽な雰囲気のお寺になっています。
役員はじめ、皆様のお力は多大なものでした。

お願いがあります。
行事のたびに地区当番の方々が美味しい食事を用意しています。
ところが最近は行事に参加する人が減って少しがっかりなので、どうぞお参りに来ていただけませんか。よろしくお願いします。

今日一日を大切に

私の現在の状況は、薬での治療が中心です。
抗がん剤は効き目がなくなると次の薬に変わるのですが、今は4個目の薬を継続中です。

リンパ節に転移をしているのでステージⅣですが、体重も減らず、副作用のないときは普通に暮らせます。

癌が治ることはもうなさそうですが、現状のまま持ちこたえればまだまだ生きられるようです。

まだ還暦前なのに、自分の死がとても身近になってしまったこの出来事。

お寺という死が特別なものではない環境のなかで、当たり前のように死を語れる僧侶が家族にいたこと、たくさんの先輩が旅立って逝かれたこと、インドで法華経信者が死後に行くと説かれた「霊山浄土」の下見が素晴らしかったこと、さまざまな経験が糧になり案外すんなりと死を受け入れることが出来ています。

「死ぬのも生きるのも辛いな」という気持ちになったとき、とりあえず今日一日を平穏に穏やかにと願いつつ。

人間は致死率100パーセント――その大切な一日を過ごすつもりで。

あと病気は本人より家族やまわりの人の負担が大きいので、なるべくわがままを言わず、出来ることは自分でやり、いつもにこやかに。

すべての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

もしも幸いにして本書を入手できたならば、まず最初に巻末の「もう一つの記録 夫から見たなぎさ闘病記」からお読みください。
英爾さんの愛情の深さとオロオロしたことをかくさない真っ直ぐさが読み取れます。
主要部を占める「記録」は、頻繁に、綿密に、病院主治医、在宅主治医、訪問看護師、薬剤師、小川英爾さん(とその家族)が、メーリングリストで情報を共有していた様が描かれています。なぎささんの体調、感情の起伏も、その時々でビビッドに(生き生きと)描かれています。
「ちょっと細かいな」と思われる方もいるでしょう。そこでポイントとなる文章を色を変えて、そこだけ読んでも全体の流れがわかるように工夫しました。

在宅ターミナルケアに一石を投げかける本となっていると確信しています。

 
 
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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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