孤独死、孤立死の用語はこれでいいのか?

3日前に久しぶりにブログを更新しようと思い立って、いつものように長く書いていたのだが、最後の段階で手順を誤り、なしの状態になった。 こういった失敗はこれで数度目。ココログに嫌われている? 本日問題にするのは「孤独死」「孤立死」という用語の問題。私もこれまではこの用語を使ってきた。以下、『現代用語の基礎知識2012』 ▼孤独死 単独世帯の増加により在宅でのだれにも看取られない単独死が増加している。なかでも本人の生前の人間関係が薄い一人暮らしで、死後2週間以上(なかには1年以上)経過し、腐敗し、さらに進行し... 続きを読む

ふつうの時間

きょうは少し暑いくらいだ。 ベランダでタバコをくゆらす。下を親子連れが何か話しながら歩いている。先ほどは父親と4人の息子。その横を中年にさしかかったカップルが手をつないで通り過ぎる。自転車に乗った中年の男が走り去る。犬を連れた女性が通る。私はそれを黙って見ている。 少し校正をする。他人の文章は常に刺激的だ。それは人の取材にしろ自分とは視点が異なるからだ。そういう見方をすると取材された人はこう答えるんだな。自分の視野がえらく小さく見える。 原稿にはまだ手がついていない。原稿というのは試合のようなものだ。とり... 続きを読む

再び、40年前のこと

すっかり秋。 昨夜は同年輩の古い友人たちと渋谷で飲んだ。久しぶりに会った元記者は話す言葉は変わらないのだが、風貌は一変。髭面で現代の仙人の趣。『キリスト教界と東神大闘争』出版のお祝いということでご馳走になった。利害関係がまったくない友人とご一緒させていただいたことはありがたかった。中には50年来の友人もいた。 自分を賭した思想闘争のつもりが、相手の教授会では、公安からの入れ知恵だろう、党派の奪権闘争と位置づけられ、彼らの行動、言動のすべてが合理化され、正当化されたことが40年経過して明らかになった。そこに... 続きを読む

手順を忘れる時

10月だというのにまだ温度が高い。いったん温度が下がり「秋」になる前「は残暑」と言い、今かつての暑さに匹敵しても「残暑」とはもう言わない。「秋晴れが続く」などという。 昨日に京都より帰ってきたが、全国みな似たり寄ったりの天気、温度で南が温暖で北が涼しいということも特にないようだ。 私も夏用ジャケットをもつようになったが、きょうはその下は半袖のTシャツである。衣替えという雰囲気でない。夏用ジャケットの出番がやっときたという感じである。 前に使用していたUSB接続のハードディスクをまた接続しようとしたらうまく... 続きを読む

敬老の日

昨日は「敬老の日」であった。私も対象者じゃないですか。違和感がある。 といってもしょうがない。65歳以上は自動的に高齢者なのだから。私は66歳、同級生の半分は67歳になった。私の学年は数が当時は最も少なく、いわばウエストである。俗に「非国民の子」と呼ばれた。 われわれの2学年下から「団塊の世代」間に合わないのでプレハブで授業を受けた口である。団塊世代は全世界にある。第二次大戦が終了し、帰還した兵士の子どもたちである。 その世代が65歳に足を踏み入れた。最後の団塊ももはや60代になった。 日本の高齢者は約3... 続きを読む