松尾さま 早速の返信、反論(前回のコメント参照)ありがとうございます。私のほうも肝心の中世史の部分の紹介を省き、まことに失礼しました。 中世史の方では、神仏習合で官度僧が死穢を嫌った話は、かねがね寺院では葬式の際に柩を庭に置いたまま、中に入れても外陣までで「本尊を背に引導を渡す」などと説明されていますが、私は「嘘だろう、寺院にも死穢意識があって内陣に入れなかったのだろう」と言っていたものですから、少し補強されたようでうれしく読みました。 中世の民衆の葬法で風葬、遺棄の例は前から知っていますが、弔う者がいた... 続きを読む
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中秋の名月
13日ぶりにブログを書いている。 昨日月を携帯で撮ったが、今夜が「中秋の名月」らしい。 もともとは陰暦では8月15日から16日の夜のこと。 いったん涼しくなり台風が紀伊半島等に豪雨をもたらした後、また暑さが戻った。 もっとも紀伊半島では川に土砂ダムができてまだ危険は去っていないという。 昨日は9・11から10年、3・11から半年ということで賑わっていたようだが、あまり関心をもてていない。 長くもあり短くもあり。 昨夜、福島にいる尊敬する年上の友人と電話で話をした。 彼曰く「おれたちはまだ終わっていな... 続きを読む
どこでも寝る/墓の革命小史
かつては新幹線の中、飛行機の中、どこでも原稿書いたり本を読んだりしていて、どこでも寝られる人を羨ましく思っていました。それが今ではどこでも寝る人間にすっかり変わりました。 8月27日(土)新潟の妙光寺の「フェスティバル安穏、万灯のあかり」に行ったのですが、夜の懇親会の後、庭、通路に置かれた優しい灯のなかで行われた法要がとてもよかった、と評判でした。でも、私はその時、客殿でぐっすり寝ていました。若い人がみなやってくれて、私のような長老には出番はなかったのですが、あっちの人、こっちの人、と言葉を交わし、おしゃ... 続きを読む
悲しきかな、愚禿鸞
親鸞仏教センター(真宗大谷派)から『親鸞仏教センター通信』を送っていただいている。今回の2011年9月発行の第38号の巻頭言は、私どもの雑誌の初期に寄稿していただいたこともある春近敬師が「東日本大震災から半年が過ぎようとしている」という書き出しで始まる「先の見えない日本」という考えさせられる稿が掲載されている。 2-3ページに恒例の親鸞仏教センター所長の本多弘之先生の連続講座「親鸞思想の解明」が掲載されている。本多先生は前にお見かけしたときは古武士のような趣で、話し方も実に思想に殉じたような言い方であった... 続きを読む
クールな夏
きょうの東京は小雨降る涼しい夏。ベランダから外を走る車を何気なくタバコを吸いながら見ていた。 19日の夜、やはりベランダでタバコを燻らせながら、感じた「俺は時を消耗している」という思いが、それ以来、頭に住み着いていて離れない。もっと別な表現があるのかもしれないが、妙にこの言葉が残る。 消耗しない生き方を希求しているわけではなく、消耗している現在を否定しているわけではないのだ。 若い時の気分、自分に耐えられなくなった時、歌舞伎町をあてどもなく彷徨していた時に感じていた気分も同じだったように思う。 おそらく若... 続きを読む