「初盆前に…」遺体なき葬儀、被災地で次々 東日本大震災の被災地で、遺体のない葬儀が相次いで執り行われるようになった。 「せめて初盆前にきちんと供養したい」と、行方不明のままの身内の死亡届を出し、葬儀をあげる遺族が増えているためだ。「死を受け入れたくない」という気持ちを抑え、区切りをつけるための苦渋の選択だ。 「生きているかもと諦めきれず、歩いて探し回った。でも、生きている自分たちの区切りにと決心し、お盆までに葬儀をあげたかった」 岩手県大槌町の川崎広さん(54)は7月12日、遺体が見つからない母親... 続きを読む
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五山送り火問題 修正 8月14日
「京都の市民はほんとうに恥ずかしいなあ」で始まる岩手県陸前高田の松原が大津波で1本のぞいて壊滅的被害。その松をたきぎにして京都五山の送り火で燃やしてもらおうと思ったら、放射能汚染を心配する京都市民の声に押されて主催団体は拒否。何とも京都市民の閉鎖性、排他意識が丸出しですな。 で始まる記事展開があり、いったんは燃やすことに合意、その後薪を検査したら放射性セシウムを検出、改めて保存会は使用しないことになった。 ここで書いた記事が大きな反響を呼び、普段の読者の方々とは異なる方々がお読みいただいてアクセスが大幅増... 続きを読む
広島原爆の日
1945年8月6日午前8時15分、太平洋戦争下、広島に米軍機エイラ・ゲイが原爆を投下。即死者約10万人と推定される。 本日の平和記念式典で登録された方々を含め、原爆死没者名簿に登載者は275,230人とのこと。被爆者の死が投下日以降約3倍になった計算である。 原爆雲が黒い雨を降らせ2次被害を招いたとの話は、本年3月12日の東電原発爆発事故後の15日に降った雨が、広い地域に放射性物質を播いたとの現地の人の話と妙に一致する。 粛としてこの日を迎える。 私が生まれる5カ月前のことだ。 即死した人、苦しんで死亡し... 続きを読む
3.12を忘れるな
3.12、つまり3.11の巨大地震と大津波で東北地方を中心とした太平洋岸の町、村、集落の平地部分が根こそぎさらった大惨事の日の翌日のことである。 この日何が起きたのか? 東電福島第一原発が水素爆発を起こした日である。 3月11日、既に全電源の喪失、炉心融解(メルトダウン)が発生、翌312日水素爆発が起こり、福島と言わず、東北、関東地方に放射能をばら撒いた。地元では15日に降った雨のことを言う人がいた。15日に降った雨が各地を汚染した。 前回も書いたが肉牛の汚染問題、さらに拡がっている。 朝日新聞社の22日... 続きを読む
あるがまま…は難しい
浜田晋さんという精神医科医がいた。1926年の大正生まれ、2010年に亡くなっている。あの学生時代ブントの書記長で、その後精神科医で沖縄等で地域治療に優れた働きをした島成郎(1930~2000)が「師」と呼んだ人。以前気に留めていたが、本もできたので、社会復帰に備えて、ネットのリンクを見直していたら真宗大谷派の広報誌『サンガ』に掲載された浜田さんのバックナンバーが出てきた。http://www.prati.info/c/back/oiru/index.html こりゃ凄い人だ。この人の言ったこと、今でもあ... 続きを読む