待合室での会話―個から見た死と葬送(15)

私の通っていた「精神科」が別館から本館の4階のつきあたりに移動する際に「メンタルヘルス科」と名前も変わった。 外科や内科は人も充満しているし、けっこう騒々しい。看護師や医師も駆けずり回っている。 だが「メンタルヘルス科」がある一角はいつも静かだ。 移動して変わったのは、診察室への呼び出しが名前で呼ばれず、受付番号がポンという音で待合室の画面に表示されるようになったことだ。 隣の、腕に包帯を巻いて待っている女性は、父親とおぼしき男性と一緒だった。 「3度目だからな…」と父親がぼそっと言う。 娘は「心配かけて... 続きを読む

死の授業―個から見た死と葬送(14)

死の授業 「健全な時代」と言うべきなのだろうか。 私たちの青春時代には、背中にベタッと死が張りついた感覚で生きていたものだ。 だが、目の前に座る学生たちの目には、珍しいことを見るような好奇心、あるいは理由もない怖れの感覚が支配しているように見えた。 そもそも授業内容に関心がなく、席に着くなり堂々と机の上に両手と頭を落として寝だす無関心な者もいる。 初めて耳にすることなのだろう。死というのは年齢・性別・健康かどうかに関係なく突然侵入してくることがあること、高齢者の終末期の状況、人が死ぬと腐敗すること、昔は乳... 続きを読む

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 母の初盆 厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。 昨年も厳しい夏であった。でも母は元気に先頭に立って歩いた。その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。だから今年の夏は母の初盆である。 本堂には100人以上の人が集まった。法要の後、住職が立って言った。 今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めること... 続きを読む

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 葬列 山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。 近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。 ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。 この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。 85になる母親は「がんの末期で... 続きを読む

突然父は逝った―個から見た死と葬送(11)

個のレベルから見た死と葬送(11) 基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 突然父は逝った ドーンという音が身体に響いた。 時計を見たらまだ明け方の4時過ぎ。 うめき声のする玄関に急いだ。 父が倒れていた。頭から血を流しながら。 それからのことはちゃんと記憶していない。 父を抱き起こして声をかけたこと、救急車を呼んで病院に搬送したこと、父がストレッチャーで救急病棟に入って行ったこと… 気がついたら手術室の前の廊下のベ... 続きを読む