何気なく立ち寄って求めた本

日一日と秋は深まっています。このところ怒ったり、宥めたり、苦吟したり、と落ち着かない日々を送っている感じです。 自分が「書く」立場にいて倫理としているのは、他人を不当に貶めてはならない、ということです。そこで自分の眼をあっちに置いたり、こっちに置いたり、俯瞰したり、接近したり、裏に回ったりするのです。それだけで疲労して書く出口見いだせないことも少なくありません。 具体的なことは省きます。「紙は凶器にもなる」ということをいまさらながら体験させられました。悪意から出発したものは、いくらそうでないと思っても悪意... 続きを読む

秋を感じて

最初にご案内 ホームページを更新している。 https://hajime-himonya.com/ この中に「変わりつつある葬儀の課題」を書いている(「評論」)。 いまの全体像を知っていただくにはいいだろう。少し長いが読んでいただければうれしい。 また、日経BP連載も2週に1回のペースで書いている。 http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html 昔の友人が映画の券をもってきた。 かつて赤坂小梅という芸者歌手がい... 続きを読む

難波は歌舞伎町より猥雑だった

2泊3日で大阪へ行ってきた。遊びではなく所用である。 泊めていただいたのは普段はビジネスホテル程度が多い私には身分不相応なホテル、前に九州でスイートルームなるものに泊めていただいたがそれ以来の豪華なホテル。気持ちが落ち着かない。昼に簡単に腹を満たそうと思ったら、最低が2500円のサンドイッチ。ホテル外に出れば安い店はあるのだが、時間がなく、泣く泣くそのサンドイッチを食した。 2日目、私の出番前に青木新門さんが「いのちのバトンタッチ―『おくりびと』と『納棺夫日記』―」と題して講演。皆さん熱心に聴いておられた... 続きを読む

樹木葬10周年で一関へ

昨日(10月18日)は岩手県一関へ行く。 樹木葬が最初に始まったのがここ一関だ。 祥雲寺(臨済宗妙心寺派、旧一関藩主田村家菩提寺)の千坂住職が始めた。いまは樹木葬墓地のほうは別院知勝院となっている。 入口の看板 樹木葬は1999年の秋に始まった。 人手を失い荒廃していた里山を買い取り樹木葬墓地とした。 許可を出した一関市では日本初という意識もなく、岩手県規則に違反しないということで許可し、後に新聞に取り上げるは、人が押し寄せるでは、で目を白黒させていた。 私が市役所を訪問したとき、担当者は私が先輩にあ... 続きを読む

雨の中の夜明けの散歩

今朝は雨、それほど強くはない。 帽子をかぶれば傘は不要なのだが、傘を片手に出かける。 時間は5時半 いつもは同じ目的の人にたくさん出会うが、雨とあって人が少ない。 いつもは公園で6時15分くらいからストレッチ、みんなの体操、ラジオ体操1、2と6時40分までやって家に帰るのだが、きょうは公園での体操は休みにつき家に戻ってからテレビ体操をする。 雨の中、まだ暗い時間だった。よく見えないが雰囲気を感じてもらえれば。 最近の散歩コースの写真いくつか。朝焼けの太陽が眩しかった。 毎朝5時半に起床... 続きを読む