中外日報に4回にわたりコラムを掲載した。
今回は最終回。
第1回は、「孤独死」「無縁墓」 価値観伴った不当な言葉―中外日報コラム(1)
https://hajime-himonya.com/?p=1572
第2回は、超高齢社会「死」の観念、大きく変化―中外日報コラム(2)
https://hajime-himonya.com/?p=1573
第3回は、都市化・過疎化と葬儀、墓—中外日報コラム(3)
https://hajime-himonya.com/?p=1576
葬儀の風景は一変したが 個々の生死の現実を突きつける
■葬送の変化の20年
「葬送が変化した」と言われて20年が経過。
葬送が明確に「個人化」へ舵を切ったのが1995年。
阪神・淡路大震災が発生し、6千人を超える大量死を生んだ年であった。
1990年前後から跡継ぎ不要の永代供養墓(合葬墓)散骨が話題となり、1999年には樹木葬が誕生。
今や「送骨」も現れた。
葬儀では1995年に「家族葬」という言葉が誕生。
2000年には葬儀式を伴わない「直葬」が話題を集めた。
宮型霊柩車は姿を消し、葬儀は自宅から斎場(葬儀会館)へ場所を移動。
1990年頃は会葬者300人という葬儀もごく一般的であったが、今や30~60人程度が最も多い。
■仏教各派の葬送儀礼に変化が見られない
こうして何もかも変化したように思えるが、仏教各派の葬儀儀礼の次第にはあまり変化が見られない。
禅宗のみならず各宗派の次第を見ると、「葬列」が行われていた時代痕跡を多くが残している。
しかし、おそらくほとんどの僧侶は葬列を知ることはない。
中には遺体安置から始まり、柩を前に読経し、棺を閉じて出棺し、葬列を組み、火葬の火を点火するまで、かつての葬儀プロセスが1時間の中に再現されているものがある。
おそらく葬儀の進行に合わせ、都度行われてきたものなのだろう。
しかし、今、かつての葬儀進行への知識も想像力も欠いたまま、「正しい儀礼」を踏襲している。
■儀式に現場感覚が失われている
儀式が本来もっていた具体性、現場感覚が失われてはいないか。葬儀は、固有の死に直面し、死者を葬り弔うという遺族や死者の仲間たちの悔恨、絶望、悲嘆等の心情の揺れのプロセスを背景としたものであったはずである。
例えば、引導の松明は火葬の点火の名残。
今導師は、その生々しい緊張感を保持して引導しているだろうか。
死者個々に向き合って行われただろうことを示すのが引導文、歎徳文、諷誦文と言われるもの。
定型文中の名を入れ替えただけのものになってはいないか。
■死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける
「葬儀式は大切だ」と多くの僧侶は言うが、自分たちが営む儀礼にどこまで自覚的だろうか。
通夜と葬儀の意味の違いも知らず、遺族が式としての通夜を省くと「儀礼軽視」と難ずる。
そのくせ意味不明な「式中初七日」は簡単に受け入れる。
死、葬儀は、どこまでも個々の生死の現実を突きつける。
その場に立ち竦み悩む僧侶にこそ期待したい。
家族5人程度といったのも普通に見られるようだ。
個人化した今、人数が問題ではない。
それぞれで考え方、事情も異なるからだ。
問題は弔いの実質を持っているかだろう。
過去の高度経済成長期の葬儀、多数の会葬者を集めて行われたが、社会儀礼に偏し、弔いの実質が伴わない葬儀が少なくなかった。
中高年の僧侶と話していると、今の葬儀の変化を嘆いているが、それは高度経済成長期の葬儀に比べて、というのが多い。
ちょっとおかしい。
社会の背景も異なる。
しかし、過去のありようへの反省がなくては、今を批判するのはおかしいだろう。