海洋民族の記憶の古層―『海へ還るー海洋散骨の手引き』を読む(1)

太田宏人さんとの縁で、村田ますみさんから彼の遺稿が収録された本を出す準備をされていると教えていただいた。

(注)太田宏人さんについては
ペルーとの関係を含めてわかる晃輝和尚の
https://ameblo.jp/seiryo-koki/entry-12377528763.html

hasunohaさん(僧侶)の
http://taka.hasunoha-blog.info/shinsai6year/

私が書いた太田さんの訃報
https://hajime-himonya.com/?p=1569

私が書いた太田さんの葬儀の報告
https://hajime-himonya.com/?p=1571

村田ますみ編『海へ還るー海洋散骨の手引き』(啓文社書房)

である。

アマゾンで予約したが、それに先行して、贈呈いただいた。感謝!

この本はいろいろな意味で学ぶところが多かった。
海洋散骨について論じる場合に、避けて通れない必読書であろう。
とても丁寧に作られている。

本書については追々書いていき、感想も書かせていただくが、まずは太田さんの遺稿について触れたい。
全体の1割、20ページ足らずであるが、この小論、太田さんらしいキラリと光るものがある。

太田宏人さんは第2章「宗教面から見た海洋散骨」について書いている。

海洋散骨(海上散骨)について、日本の既存の伝統宗教からは、懐疑的な声が聞こえます。しかしながら、この国には「海へ還る」「海で眠る」という伝統があったことは事実です。

そして太田さんは「海洋民族の記憶の古層」を指摘する。
太田さんが展開するように、「人種的にも、文化的にも、日本人のルーツは多様」であり、「いくつもの他界観」をもっている。

その一つが「山上他界」「海上他界」である。

四方を海で囲まれた島々から成る日本列島。

長い海岸線に囲まれ、島の多くは山岳地帯。

平野部に後に都市が建設されるが、私たちがかつて住んだ地域は、背後が山で海岸線に沿った集落か、山間にあって河川の傍の集落であるかが多い。

山間部では死者は近くの霊山の麓から「浄土」へ還っていくと考えられた。
海岸線では海岸の洞窟から死者は海の彼方にある「浄土」へ還っていくと考えられた。

宗教学者である山折哲雄が日本の地理から生まれた日本人の浄土観を描いている。
これが近世以前の日本人の「古層」の他界観であった。

太田さんは、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を紹介する。

仏教の浄土といえば、阿弥陀如来の住む西方浄土が有名です。もうひとつ、観音菩薩が住む、あるいは降り立つ山「補陀落」または「補陀落山」という浄土が、南の海上はるか彼方にあるとされました。

私は、太田さんが海上他界に着目したことに彼の豊かな宗教観を反映していると見る。

太田さんの小論は「仏式海洋散骨」はどうあったらいいか、について実践的に書くのであるが、その背後には彼の禅僧としての供養へのこだわりがある。

仏教が海の上での散骨そのものについて反対する根拠は、私は希薄だと思っています。散骨に反対する僧侶は、墓制度や、供養の場所として大切な機能をもつ墓の存在と相容れないためと考えているようです。しかし、墓制度そのものは明治以降も常に変化を続けています。また、散骨を選ぶ確たる理由がある場合、やみくもに反対するのは衆生救済、衆生の抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与えること、慈悲)を旨とする大乗仏教の実践者として、どうなのでしょうか。

僧侶に対して批判して傍観者になるのではなく、供養をしてほしいと願う人がいれば、参加して供養すべきではないか、と勧めている(もっと穏便にだが)。
そして極めて実践的に仏式の海洋散骨での法事のあり方を提示している。

どこでも苦あるところには馳せ参じた。

供養することに生命を削り、一介の聖(ひじり)たろうとした太田さんの姿がここでも見ることができるように思う。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/