享年では100

先週の金曜日の午前3時に母が満では98歳ですが、数えの享年では100歳で死亡し、福岡に行ました。   母は今年の3月から危篤状態を繰り返し、一切有意味な治療は行わなかったのですが、生命力が強く、医師もわからないとお手上げの状態で5か月生きました。   7月に食事に姉夫婦と私が出かけたのが外出の最後でした。まさに生き切った、という感じです。 母は、80代から認知症になり、ここ数年は介護の方たちにも悪態つき放題でしたが、最後の半年は穏やかになってくれました。眠っている延長上で死亡しました。... 続きを読む

こける

テレビでは「残暑」という表現をしますが、まだまだ暑いです。「残暑」ではなく「酷暑真っ盛り」という感じです。今年の夏のひどさは湿度が高いせいでしょう。身体的にまいっています。先週末に新潟に行ってきましたが、例年ですと朝夕が涼しいだけではなく、昼間でも木陰では涼しい風がふいたものです。ところが今回は東京の上を行くのではないか、という蒸し暑さでした。腕にはすぐ汗がわき、こんもりと水分が盛る感じです。 原稿が重なり苦労していますが、先日その仕事の一つは終えたのですが、おもいっきりこけてしまいました。明らかな期日オ... 続きを読む

40年前に書いた記録

本日、編集者の野田映史さんが事務所に来て、本の見本を置いていった。 碑文谷創『キリスト教界と東神大闘争~碑文谷創全発言録~』(本体3800円+税、論創社) 四六判346ページ。ちょっと高いのは少部数出版だからだ。本屋さんには盆過ぎの8月下旬から出ると思われる(出版社のホームページにもまだ記載がない)。 そのあとがきに書いた文章の先頭部分のみ出しておこう。    本書は、約40年前に私が学生時代に書いた文章を、発表順に集めたものである。「発表順」にこだわったのは、私自身がその過程で変化しているから... 続きを読む

死生観

きょうは伊勢という神社の総本山で中堅神職の方々相手に「日本人の死生観」について2コマ3時間話す。昨年について2度目となる。僧侶の方向けは多いが、神職の方向けは珍しい。こちらの考えが先方に近づいたのか、先方がこちらに近づいたのか、その双方であろう。 3.11以来、穢れと浄めについて考えることが多くなった。穢れに対して根拠のないものを恐れ退けるという感覚があろうかと思うが、これは違うように思う。きちんと分析されての行動ではないから、時に誤ることもあり、差別につながることがあるが、感染症や死に対するリアルな畏怖... 続きを読む

懐かしい

今、たばこをくゆらせながら思ったのだが、「懐かしさ」というのは現にいきているかどうかに関係ない想いだということだ。 この歳になると年々友人が死んでいく。そして「懐かしさ」の感情はその人間が現に生きているかどうかにまったく左右されない。人間関係を考えると、「死」は障壁ではないのだ。「人間関係」というのは感情で、その人間が好きということで、ことわるまでもなく性的な関係をまったく意識しないで言っているのだが、これは相手の死によってまったく変化していない。 ぼくが大好きだったのはRという奴で、10代の最後に2年く... 続きを読む