このところ若い時の自分について考える時間があります。今の自分を退化した、あるいは衰弱していると見ている人がいることは充分に知っているつもりです。おそらく破綻していると見る人もいるでしょう。そうした評価はそれで受け入れています。自分でもそうかもしれない、と思うところがあるからです。 これでなくてはならない、という見方は突き詰めるとないように思えてきます。自分を封印したつもりが、時々冗舌になっているのは考えてみれば滑稽な話で、これも老化なのか、それとも退廃なのか、自分でもよくわからなくなっています。 若い人に... 続きを読む
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消費者目線?
12月になりましたね。でもまだ秋の感じが…。今年は季節感覚がどうも狂ってしまっています。 さてさて葬祭業関係にも「ビジネス」という感覚で参入される方、関心を示される方が急激に増加しています。 しかもかなり安直に。 これは既存の業者の中にもこうした感覚の方が増えています。内外ともに増加しているように思われます。 この方々からは業態が古い、旧弊な面が目につくのでしょう。でも業態は古くあっても尊敬すべき人がいて、その人たちの想いをつかみ損なったら、ダメですね。 死者、遺族の支援をするということがどういう意味をも... 続きを読む
冬到来 超高齢社会の死
昨夜帰りに車のエンジンをかけたらエアコンが暖房になった。北海道や東北北部には雪が降ったとニュースが伝えていた。今年は全国的に酷暑が続き、ようやく涼しくなって秋だな、と思ったら冬が到来。秋があまりに短い。秋好きの人間としては淋しいかぎり。 この間更新が途絶えたが、出る仕事と締切原稿を抱えたため。ちょっと個人的には滅入ることもあった。 新聞や雑誌が送られてきて、取材されたということに気づく。どこの媒体に何を話したかすら記憶に残っていない。(これは「老化」ですかね) ダイヤモンド誌に代表される死や葬送への、特に... 続きを読む
葬送と宗教者の関係
TSさん 早速ご意見ありがとうございます。 私は死や葬送に対するタブーが崩れたことで、いい面と悪い面が極端に出て、その結果が「多様化」という現実だと見ています。 今7割以上がいわゆる「親の死」ですが、夫婦世帯も多いことから3割は「配偶者の死」でもあるのです。 少数の近親者で、懇ろに送られることもできるようになったのはプラスです。何せバブル景気の末期には「社会儀礼」以外のものにあまり目が行かず、7割の本人を知らない、悲しんでもいない人たち向けに葬式を行い、遺族の喪の仕事はひととおりの儀礼が終わった後に、一人... 続きを読む
安易な不要論
アエラが「『お寺』はもういらない」週刊朝日が「中国はもういらない」経済界が『お墓なんていらない」学研新書が『お墓は、要らない』 これらは島田裕巳『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の題名をパクッタもの。不愉快だ。 いずれも書中では「不要」とは言わず「問題提起」だとし、インパクトを高める手法のようだ。 よく原点から考えるために「サラの状態から考える」という表現があるが、歴史的なものは通俗理解を踏襲せず、客観的に見直すということはあっても、「いらない」からは始めない。 誰だったかな、島田本を読んで「読んでみると... 続きを読む