臨済宗の戦争協力への懺悔

青木新門さんの『それからの納棺夫日記』の発売日は2月15日らしいが、もう増刷がかかったという。新門さんも心配していたが、僧侶をあれだけ批判しておいて、その反発はないだろうか、と私も思ったが、新門さんの周囲にいらっしゃる僧侶の方々はよくできている。反発よりも同意する意見が多かったようだ。 「仏教タイムス』紙の1月30日号の巻頭は「歴史に学ぶ仏教と平和」と題する臨済宗妙心寺派管長の河野太通師の談話であった。 「平和活動の原点は何かとよく聞かれます。やはり戦争体験が大きい。結論から言うと、日本が戦争に突入する以... 続きを読む

死者を利用してはならない

どういうわけか2か月間、このブログを放置したことになる。というより気持ち的に余裕が失われていたことが書かなかった理由である。 今年1年、気持ちが落ち着かない日々を暮していた。個人的には従妹の50日にわたる終末期と死。重なるように姉のがんステージⅣの告知とたび重なる入退院。姉は今自宅療養中であるが、事態は確実に進んでいる。大腸ががん細胞に圧迫されてのたびたびの腸閉塞は、バイパス手術で今のところは乗り切ったが、今度は肝臓がんの進行で胃を圧迫しているようだ。穏やかに新年を迎えてくれるといいが、これはわからない。... 続きを読む

8月15日

きょうも暑い。68年前、各地で違ったろうが、私の記憶にないその日は、やはり、陽が照りつける暑いイメージだ。 天皇によるポツダム宣言受諾=敗戦、を受け入れずにその後、数は少なかったものの特攻出撃し、死んだ者もいた。 そうした例外も少なくなくあったが、それ以前の本土決戦の煽りに比して、日本人は敗戦を比較的におとなしく受け入れたようだ。 天皇の判断、という当時の大権を保持した天皇の決断を受け入れた、ということもあろう。2・26のことを考えれば、天皇の判定に異議を唱えることは賊軍になることを意味したから従った、と... 続きを読む

原爆忌 68回目

本日8月6日は広島原爆忌。1945(昭和20)年8月6日朝8時、米軍爆撃機が広島上空で原爆を投下。 まさに焦土と化した。 その被災国が「作ろうとすれば短時日で核兵器をもてる」というのが「核抑止力」になる…というのが昔、中曽根と正力が核平和利用をうたった原子力発電所開発に方向を転じた公然たる秘密。 その「秘密」がまた自民党幹部の口からあたりまえのように口にされる。 愚か者よ。 ヒロシマ、ナガサキを体験した人は奥底まで核廃絶を祈るが、遠く立っていたものは、それさえ他人事だという話。 この愚かさは人間につきまと... 続きを読む

死んだ男の残したものは

本日は雨、そして涼しい。事務所で冷房を入れないというのはいつぶりであろうか。 私は暑がり、寒がりという脆弱ぶり。節電は厳しい人間。ちとみんなからは冷たい目で見られる感じがするきょうこのごろ。その人間が冷房要らずなのだから、ようやく長い酷暑は終わったのかもしれない。 とにかく、今年の夏は長く、湿気が高くきつかった。「残暑厳しき折り」とふつうの人は8月下旬から書くのだが、私は9月に入っても「酷暑が続いています」と、ついこのあいだまで書いていた。 谷川俊太郎『ひとり暮らし』(2001年初版、2009年新潮文庫)... 続きを読む