「式中初七日」てなんだ

今や東京では珍しくなくなったもの「式中初七日」というもの。考えれば考えるほど腹立たしい。   本来「初七日法要」は、死亡日を入れて7日目(関西では逮夜の習慣があるのでその前日となることが多い)に行われる。しかし、葬儀のすぐ後ということで、いろいろな地に家族、親戚が散っているので、また集まるのはたいへん、ということで、70年代以前だと思うが初七日を繰り上げて、還骨法要に連続して行われることが一般化している。 それが3~5年前からだろうか、関東、特に東京23区内では、葬式に連続して、出棺前に、柩を開... 続きを読む

8月15日

きょうも暑い。68年前、各地で違ったろうが、私の記憶にないその日は、やはり、陽が照りつける暑いイメージだ。 天皇によるポツダム宣言受諾=敗戦、を受け入れずにその後、数は少なかったものの特攻出撃し、死んだ者もいた。 そうした例外も少なくなくあったが、それ以前の本土決戦の煽りに比して、日本人は敗戦を比較的におとなしく受け入れたようだ。 天皇の判断、という当時の大権を保持した天皇の決断を受け入れた、ということもあろう。2・26のことを考えれば、天皇の判定に異議を唱えることは賊軍になることを意味したから従った、と... 続きを読む

原爆忌 68回目

本日8月6日は広島原爆忌。1945(昭和20)年8月6日朝8時、米軍爆撃機が広島上空で原爆を投下。 まさに焦土と化した。 その被災国が「作ろうとすれば短時日で核兵器をもてる」というのが「核抑止力」になる…というのが昔、中曽根と正力が核平和利用をうたった原子力発電所開発に方向を転じた公然たる秘密。 その「秘密」がまた自民党幹部の口からあたりまえのように口にされる。 愚か者よ。 ヒロシマ、ナガサキを体験した人は奥底まで核廃絶を祈るが、遠く立っていたものは、それさえ他人事だという話。 この愚かさは人間につきまと... 続きを読む

暑中見舞い

今年は久方ぶりの猛暑である。先日のことだが、事務所で仕事をしていると、凄まじいまでの雷鳴。ベランダに出てみると、右手の空は明るい。左手は暗雲。稲妻が上を走るのではなく、下を這い、それを追うように雷鳴がバカバタと激しく響く。そして豪雨。外を歩いていた女性が立ち止り、稲妻を撮ろうとカメラを水平に構えていた。この局地的雷と豪雨、時間にしては長くない。 このところ月日の経つのがはやい感じがする。一日というのは「けっこうな長い時間」だと思っていたが、「あれ、もう夜だ」とろくに進んでいない原稿を見て愕然とする。このペ... 続きを読む

晩年

60代になったあたりから同級生が死にだし、先日は62歳の従妹が死亡。72歳の姉ががんが再発、といっても前のは40年前になるので、「再」発ではないかもしれない。ステージ4で本人は無治療を選択した。 一人暮らしをしている友人にメールを送ったが返事がない。―こういう時はつい最悪の事態を考えてしまう。 「人生80年」という時代を迎えたが、それはあくまで平均の話。80歳より先のことについて、ほんの一部の人を除いては、自由意思での選択は難しくなる。 尊厳死法案の問題で「自由意思」の中身が問われた。高齢者からアンケート... 続きを読む