母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 母の初盆 厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。 昨年も厳しい夏であった。でも母は元気に先頭に立って歩いた。その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。だから今年の夏は母の初盆である。 本堂には100人以上の人が集まった。法要の後、住職が立って言った。 今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めること... 続きを読む

死者を弔う―「弔い」としての葬式(4)

死者を弔う 95年の阪神・淡路大震災でも、今回の東日本大震災でも遺族たちがとった原初的な行動は、死者を弔うことであったように思います。 祭壇がどうの、あるいは最近の家族葬がどうの、ではなく、死者を弔うことは遺族としてまずすべきことであった、ということです。 阪神・淡路大震災で焼け野原となった長田地区に足を踏み入れた時、焼け跡のそこかしこに、板切れに牛乳瓶に生けられた一輪の花、そしてペットボトルに入れられた水が載せられてありました。おそらくその場所でいのちをなくした人に供えられたのでしょう。その小さ... 続きを読む

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 葬列 山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。 近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。 ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。 この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。 85になる母親は「がんの末期で... 続きを読む

近親者の悲嘆への配慮―「弔い」としての葬式(3)

近親者の悲嘆への配慮   死者の近親者が死別により悲嘆を抱えるようになることは自然なことです。 それ自体病気ではありません。人間が深い関係にある人間を喪失した時に起こる、極めて人間的な感情です。それを埋めようとして行う近親者の作業を喪の作業(グリーフワーク)と言います。 死別の悲嘆(グリーフ)は泣き嘆くこともあれば、怒りになったり、他人への攻撃、情緒不安定、抑うつ等とさまざまな現れ方をします。それぞれの関係によるものですから、実にさまざまです。解放感、安堵もあるし、それだから薄情というわけではあ... 続きを読む

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな!―「弔い」としての葬式(2)

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな! 死者(遺体)の尊厳と「遺体のリアルな認識」 死者(遺体)の尊厳を守る―というのは、死者(遺体)を美しく保つことだけを意味しません。 腐敗した遺体であろうと尊厳をもって扱うということです。 ※東日本大震災では葬祭業者がこの問題に直面した。 そして死者の尊厳を守るべく正面から相対し、自らの責務を尽くした。 このことはあまり報道されなかったが、きちんと記憶されるべきだと思う。 火葬と埋葬―東日本大震災の仮埋葬 https://hajime-himonya.com/?p... 続きを読む