死者を弔う―「弔い」としての葬式(4)

死者を弔う 95年の阪神・淡路大震災でも、今回の東日本大震災でも遺族たちがとった原初的な行動は、死者を弔うことであったように思います。 祭壇がどうの、あるいは最近の家族葬がどうの、ではなく、死者を弔うことは遺族としてまずすべきことであった、ということです。 阪神・淡路大震災で焼け野原となった長田地区に足を踏み入れた時、焼け跡のそこかしこに、板切れに牛乳瓶に生けられた一輪の花、そしてペットボトルに入れられた水が載せられてありました。おそらくその場所でいのちをなくした人に供えられたのでしょう。その小さ... 続きを読む

葬列―個から見た葬送(12)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 葬列 山道は昨夜の雨で少しぬかるんでいた。 近所の年寄りは「滑るから危ない」と言われ、無念そうに家の前で葬列を見送った。 ここの山間はもともと土葬の習慣の残る地区であった。だが合併し「市」となった今、市の病院で亡くなり、その市の斎場で通夜、葬儀が行われ、市の火葬場で荼毘に付されるケースが増えてきた。 この日の死者は、最近では珍しく自宅で亡くなった。 85になる母親は「がんの末期で... 続きを読む

近親者の悲嘆への配慮―「弔い」としての葬式(3)

近親者の悲嘆への配慮   死者の近親者が死別により悲嘆を抱えるようになることは自然なことです。 それ自体病気ではありません。人間が深い関係にある人間を喪失した時に起こる、極めて人間的な感情です。それを埋めようとして行う近親者の作業を喪の作業(グリーフワーク)と言います。 死別の悲嘆(グリーフ)は泣き嘆くこともあれば、怒りになったり、他人への攻撃、情緒不安定、抑うつ等とさまざまな現れ方をします。それぞれの関係によるものですから、実にさまざまです。解放感、安堵もあるし、それだから薄情というわけではあ... 続きを読む

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな!―「弔い」としての葬式(2)

安易に「孤独死」「孤立死」と言うな! 死者(遺体)の尊厳と「遺体のリアルな認識」 死者(遺体)の尊厳を守る―というのは、死者(遺体)を美しく保つことだけを意味しません。 腐敗した遺体であろうと尊厳をもって扱うということです。 ※東日本大震災では葬祭業者がこの問題に直面した。 そして死者の尊厳を守るべく正面から相対し、自らの責務を尽くした。 このことはあまり報道されなかったが、きちんと記憶されるべきだと思う。 火葬と埋葬―東日本大震災の仮埋葬 https://hajime-himonya.com/?p... 続きを読む

葬式の原点は何か?―「弔い」としての葬式(1)

葬式の原点は何か 葬送の変化を決定づけたのは2008年のリーマンショックです。しかし、変化は今から20年前の1995年から始まっています。 お葬式は確かに表面的にはとても変化しています。現在進行形で変化しています。 葬祭仏教の成立期である戦国時代のお葬式、昼間に行われるようになった明治時代のお葬式、祭壇が照明で煌めいたバブル景気時のお葬式、それぞれ様相には変化があります。しかし、原点、基本には変化がないように思います。 変わっているのは死者を取り巻く環境です。環境の変化に伴い、お葬式の形態も変化してき... 続きを読む