戦争体験の一つの局面

水木しげるさんが亡くなった。 公式サイトに書かれた水木さんのプロフィールは 1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。 太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。 復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。 代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など。 とある。 1922年とは大正11年生まれ。93歳。1945年の敗戦を23歳で迎えたのだから、戦闘の最前線に生きた世代である。 この世代はそのほとんどが第一線に赴いた。戦闘の第一線は若者である。戦争末期には40代の老兵... 続きを読む

「戦争ゲーム」は直ちにやめよう

安全保障関連法がついに立法化。 これを受けて自衛隊はPKO派遣軍の軍備拡充に早速乗り出した。南スーダンで派遣部隊に「駆けつけ警護」の任務追加とその場合の「武器使用基準」の緩和である。 これは派遣部隊が紛争の前線に立って、「普通の」国の派遣部隊と同じく、同じ軍備で戦闘する事態を想定したものである。 これまでもイラク等への自衛隊派遣で自衛隊員に大きな精神障害を与え、自死に追い込んだ事例が指摘されている。戦闘参加は外的に銃殺される、というだけではなく、戦闘員の精神もむしばむ、極めて危険度の高いものである。これは... 続きを読む

臨済宗の戦争協力への懺悔

青木新門さんの『それからの納棺夫日記』の発売日は2月15日らしいが、もう増刷がかかったという。新門さんも心配していたが、僧侶をあれだけ批判しておいて、その反発はないだろうか、と私も思ったが、新門さんの周囲にいらっしゃる僧侶の方々はよくできている。反発よりも同意する意見が多かったようだ。 「仏教タイムス』紙の1月30日号の巻頭は「歴史に学ぶ仏教と平和」と題する臨済宗妙心寺派管長の河野太通師の談話であった。 「平和活動の原点は何かとよく聞かれます。やはり戦争体験が大きい。結論から言うと、日本が戦争に突入する以... 続きを読む

死者を利用してはならない

どういうわけか2か月間、このブログを放置したことになる。というより気持ち的に余裕が失われていたことが書かなかった理由である。 今年1年、気持ちが落ち着かない日々を暮していた。個人的には従妹の50日にわたる終末期と死。重なるように姉のがんステージⅣの告知とたび重なる入退院。姉は今自宅療養中であるが、事態は確実に進んでいる。大腸ががん細胞に圧迫されてのたびたびの腸閉塞は、バイパス手術で今のところは乗り切ったが、今度は肝臓がんの進行で胃を圧迫しているようだ。穏やかに新年を迎えてくれるといいが、これはわからない。... 続きを読む

8月15日

きょうも暑い。68年前、各地で違ったろうが、私の記憶にないその日は、やはり、陽が照りつける暑いイメージだ。 天皇によるポツダム宣言受諾=敗戦、を受け入れずにその後、数は少なかったものの特攻出撃し、死んだ者もいた。 そうした例外も少なくなくあったが、それ以前の本土決戦の煽りに比して、日本人は敗戦を比較的におとなしく受け入れたようだ。 天皇の判断、という当時の大権を保持した天皇の決断を受け入れた、ということもあろう。2・26のことを考えれば、天皇の判定に異議を唱えることは賊軍になることを意味したから従った、と... 続きを読む