青木新門さんとの対談ー死生観、遺体観、葬送の25年を振り返る

2015年9月に雑誌『SOGI』通巻150号のための青木新門さんとの対談が行われた。 「編集長インタビュー」というのがそのコーナーである。 これは特集記事でもあったので分量が多いことは予めご理解いただきたい。 目次も付したので、少しずつ読んでいただいたら、と思っている。 既報のように、本年(2022年)8月6日、青木新門さんは85歳の生涯を終えた。 8月9日の通夜、10日の葬儀に富山に弔問にうかがった。お顔もじっくり拝見し対面。30年のお付き合いにお礼を申し上げる機会を与えられた。 遺された奥様、娘さん... 続きを読む

大漂流する人の死-葬送を考える視点

1年近くこのブログをお休みした。 私自身の老化はこの間進んでいるもののの、大病をしていたわけではない。 長く続くコロナ禍にあったことが影響していないとは言わないが、私的に引越しを余儀なくなくされたことによる余裕のなさも影響している。 Facebookでは気になったニュースの紹介等は行ってきた。 ブログを休んでいたこの期間、何もしなかったわけではない。 このブログ休止期間にしていた作業はおいおい公開していきたいと思う。 その第1回が表題とした「大漂流する死ー葬送を考える視点」と題する講演である。 この講演は... 続きを読む

近親者の悲嘆への配慮―死者を弔うこと

■近親者の悲嘆への配慮 ・死別と悲嘆 葬式の機能を絞れば、一つは「死者(遺体)の尊厳を守る」ことで、もう一つが「近親者の死別の悲嘆への配慮」である。 「死別bereavement」とは近しい、大切な人が死亡することによって別れをよぎなくされることをいう。 死別によってもたされる深い悲嘆を「グリーフgrief」と言う。 悲嘆(グリーフ)には、悲しみだけではなく、不安に陥る、ショックで心が麻痺する、無気力になる、抑うつ状態になる、焦燥感を抱く、孤独感を深める、怒りを覚える、落ち着きがなくなる…等のさまざまな感... 続きを読む

弔いの問い直し―「死者(遺体)の尊厳」とは?

■葬式の原点は何か ・「葬式」の再定義 1995年以降、葬式は確かに表面的には非常に変化している。 現在進行形で変化しており、そのキーワードは「個人化」である。 1920年以降のコロナ禍においては、好む場合ばかりか好まざる場合においても葬式は個人化を余儀なくされている。 しかし、いくら変化しようと、変わっていないものもある。 葬祭仏教の成立期である戦国時代の葬式、昼間に行われるようになった明治時代の葬式、祭壇が照明で煌めいたバブル景気時の葬式、それぞれ様相には変化があるが、原点、基本には変化がない... 続きを読む

「0葬」とその批判 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その3

前回まで 0葬登場の背景 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その1 https://hajime-himonya.com/?p=5103 葬送の変化をどう読むかー 復刻版「0(ゼロ)葬から葬送の変化を検証」(2014年)―その2 https://hajime-himonya.com/?p=5106 【お断り】データ、肩書等は2014年の執筆当時のまま。 「0葬」とその批判 ①島田裕巳が提案する「0葬」 島田裕巳は、2014年1月に著した『0葬―あっさり死ぬ』(集英社)で次のように提... 続きを読む