自然の脅威、自然の恵み

9月24日付けの『中外日報』を見ていたら、別な場で荒俣宏さんと山折哲雄さんが似たようなことを言っていたようだ。 荒俣さんは臨済宗青年僧の会(私も2度ほど呼ばれたと思う)で「人類と地球の仲直り」というテーマで講演した。(以下、中外からの引用) 東日本大震災の被災地の印象を語り、「自然には破壊と恩恵の2つの側面があるが、人間は受け止めるしかない(略)」 山折さんは九州市民大学の9月講演会で話した。(以下、中外からの引用) 東日本大震災や津波、大きな爪痕を残した台風12号のように自然は恐ろしさを持つ反面、打ちの... 続きを読む

中秋の名月

13日ぶりにブログを書いている。 昨日月を携帯で撮ったが、今夜が「中秋の名月」らしい。 もともとは陰暦では8月15日から16日の夜のこと。 いったん涼しくなり台風が紀伊半島等に豪雨をもたらした後、また暑さが戻った。 もっとも紀伊半島では川に土砂ダムができてまだ危険は去っていないという。 昨日は9・11から10年、3・11から半年ということで賑わっていたようだが、あまり関心をもてていない。 長くもあり短くもあり。 昨夜、福島にいる尊敬する年上の友人と電話で話をした。 彼曰く「おれたちはまだ終わっていな... 続きを読む

どこでも寝る/墓の革命小史

かつては新幹線の中、飛行機の中、どこでも原稿書いたり本を読んだりしていて、どこでも寝られる人を羨ましく思っていました。それが今ではどこでも寝る人間にすっかり変わりました。 8月27日(土)新潟の妙光寺の「フェスティバル安穏、万灯のあかり」に行ったのですが、夜の懇親会の後、庭、通路に置かれた優しい灯のなかで行われた法要がとてもよかった、と評判でした。でも、私はその時、客殿でぐっすり寝ていました。若い人がみなやってくれて、私のような長老には出番はなかったのですが、あっちの人、こっちの人、と言葉を交わし、おしゃ... 続きを読む

悲しきかな、愚禿鸞

親鸞仏教センター(真宗大谷派)から『親鸞仏教センター通信』を送っていただいている。今回の2011年9月発行の第38号の巻頭言は、私どもの雑誌の初期に寄稿していただいたこともある春近敬師が「東日本大震災から半年が過ぎようとしている」という書き出しで始まる「先の見えない日本」という考えさせられる稿が掲載されている。 2-3ページに恒例の親鸞仏教センター所長の本多弘之先生の連続講座「親鸞思想の解明」が掲載されている。本多先生は前にお見かけしたときは古武士のような趣で、話し方も実に思想に殉じたような言い方であった... 続きを読む

クールな夏

きょうの東京は小雨降る涼しい夏。ベランダから外を走る車を何気なくタバコを吸いながら見ていた。 19日の夜、やはりベランダでタバコを燻らせながら、感じた「俺は時を消耗している」という思いが、それ以来、頭に住み着いていて離れない。もっと別な表現があるのかもしれないが、妙にこの言葉が残る。 消耗しない生き方を希求しているわけではなく、消耗している現在を否定しているわけではないのだ。 若い時の気分、自分に耐えられなくなった時、歌舞伎町をあてどもなく彷徨していた時に感じていた気分も同じだったように思う。 おそらく若... 続きを読む