「個人化」という社会の問題―葬送を小手先で考えるな!

葬儀の「個人化」現象は1995年前後から明確になり、それから20年。 これが葬儀だけの問題ではなく、今日本社会に大きく進んでいる「個人化」という大きな問題の現象の一つである。 この問題に切り込んだ経産省の20代、30代の若手のレポート「不安な個人、立ちすくむ国家」が注目を浴びている。 これを報じた朝日の今朝(2017年6月13日)の記事社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言http://digital.asahi.com/articles/ASK6D4GVQK6DULFA01D.html?i... 続きを読む

認知症―報道に学ぶ

私の母は4年前99歳の1ヶ月前にして死亡。10年以上認知症であった。 母は最初の頃こそ私を息子と認識していたが、そのうち「息子」とは私が小学生時代のことを言い、目の前にいる私を「親しい人間」とはわかっていたが息子とは認識しなかった。 全ての記憶がなくなったわけではない。フィリピン戦線でどういう経緯で死亡したかも不明なままに弟の「遺骨」なるものが戦死公告と共に送られてきて、開けてみたら石が1個だけだったことは、最期まで憤怒と共に繰り返し語っていた。 父が87歳で死亡した時、2歳下の母は既に認知症だったからそ... 続きを読む

あのとき それから 1990年日本初の樹木葬

昨日2017年5月31日朝日新聞夕刊特集「あのとき それから 1999年(平成11年)日本初の樹木葬」(記者:帯金真弓さん)が掲載された。   http://digital.asahi.com/articles/DA3S12965781.html いま樹木葬は中国、韓国でも人気らしいが、起源は1999年に岩手県一関市の祥雲寺(当時:現在は知勝院)が山ごと「樹木葬墓地」として許可を得て開設したのが最初。 自然保護活動と葬送を一体化した提案であった。 http://www.jumokuso.or.jp/... 続きを読む

僕はあなたの息子でした―個から見た死と葬送(27)

これを書いたのは2年半ほど前のことである。今も父の死は鮮明である。遺骨の一部は今も私の引き出しに入れてある。 父は晩年、よく「危篤だ」と自分で電話をかけてきた。 兄には別な日に「危篤」になったようだ。 要は「顔を見せろ」ということだ。 行くと息子の顔をまじまじとみつめ、「僕が死んだらどうするか言ってみろ」と言うのだ。 自分の意思が息子に伝わっているか、確認をするのだ。 危篤になった時のことから始まり、葬式や納骨、そして自分の書斎の本の行く末まで、全部を、私が父からそれまで何度も聞かされたとおりに言うと、「... 続きを読む

バブル文化についてつらつら―雑感②

今ウケるバブル文化   今朝20170514 の朝日から気になった言葉を抜いてみた続き。(ディジタルから引用しているので、本紙とは一部異なる) 「バブル景気」は80年代後半から91年まで続く。91年1月に崩壊するのだが、気分としては91年いっぱい引きずり、すぐまた戻るだろうと思っていたが、95年頃から不況を実感し、宝石が売れなくなり、葬送の傾向も個人化に傾斜していく。 個人的には86~91年というのは、出版編集という編集者の仕事から苦手な管理職的な仕事の負担が増え、嫌気がさし、会社を辞め、... 続きを読む