8月15日敗戦記念日心して想う。 8月13日~16日は月遅れのお盆である。多くのところで15日の晩、盆踊りが行われ、夏祭のピークとなる。この盆踊り、生者だけではなく死者も一緒に踊るという。生者と死者が心おきなく一緒に過ごす時間 死者を想う時、戦争の死者を想う時 昨夜、倉本聰『歸國』がテレビで放送された。といっても私は帰路、音声でのみ最後の部分を聴いただけだが。戦時中に南の島で玉砕した「英霊」が現在の日本に現れるという話。演劇のドラマ化らしい。 死者が帰ってきたらどう思うだろう?死者を迎えるお盆 皆、あま... 続きを読む
死に方は選べない
(以下、9日のブログの後半に書いたが、テーマが異なるので分けた) ある僧侶向けの講演会に行ったときのことだ。講演が終わり質疑応答、意見発表で発言した僧侶が「葬式において儀式の有用性を説く必要がある」と語った。その人の意見はそれでいいが、死者や遺族のことを傍らに追いやり儀式の必要性もないだろう、と私は答えた。死という事実、リアリティが欠けたところで、どういうリアリティ、力を儀式はもちうるというのか。 中には檀信徒でもない一般の人が仏教で葬式をしない、と文句を言う僧侶がいる。いわく「葬式文化が失われた」と慨嘆... 続きを読む
原爆忌にあれこれ思う
きょうは長崎、先日は広島の原爆忌である。65回目となる。私の誕生の半年前の出来事だ。 世界には人類全部を殺戮しても、まだあまる核兵器があるという。人類の未来は一部指導者の手に委ねられている、という事実。それが安全ならばいいが、かなり危ない。 殺され、泣く人間の存在も許されない。「現実感」がなくとも、もっと想像力を働かせていいはずだ。 「核の傘」というバランスは崩れたらそれまでだ。たとえ報復がされてもどんな未来が残されるというのか。一人の人間が狂気に陥った時、誰がどのように阻止する、阻止できるというのか。 ... 続きを読む
夏休みではないのです
今年の夏は暑いです。九州に行っても関西に行っても、そして東京にいても暑いし、蒸します。 ブログの更新を怠っていると、ご心配いただくようで、申し訳ないやら。加齢により、あまり併行しては作業ができず、追いたてられるような生活をしていると、怠りがちです。何か、更新が月1回になってしまっている(トホホ…) このところ少し、ナマケモノの私としてはですが、忙しくしていました。寝る時間も少々短くなっています。 仕事もそうですが、最近は「解がない」ことをつらつら考えていて、時間の感覚をなくしています。でも身体的には特に問... 続きを読む
夏です
梅雨もあけて、夏です。 今年の天候、蒸し暑い、梅雨らしい梅雨があり、 あっというまに晴れて、夏 なんかわかりやすい感じです。 ゲリラ豪雨の被害状況を見ていると、山沿いの町、川の流れる自然が、あっというまに危険地帯になる 危険がいっぱい、という感じ。 鹿児島、北九州、山口、京都、長野、群馬、福島 日本列島縦断ぶり あいかわらず追い込まれた生活 少しの自堕落 深いやりようのなさ うつというのはそれこそ突然襲いかかる。 これに抗するすべはない。 仕事のペースはがた落ち 導眠剤でぐっすり寝る。 このところ事前に頓... 続きを読む