クリスマス

きょう12月25日はクリスマスである。 イエス(「イエス・キリスト」と一般に言うが、キリストは尊称。「イエスはキリストである」という信仰告白)の誕生日とされているが、これには歴史的根拠がない。イエスの生誕祭とされたのは4世紀頃らしい。ミトラ教の冬至祭をイエスの生誕祭としたらしい。 イエスの復活祭であるイースターも4世紀頃に定着したが、元はゲルマン人の春の祭とも言われる。 つまりキリスト教が拡大、進出の過程で、他の祭を吸収し、意義づけたものである。しかし、そうすることによって、これらの祭は地域を超えて最大に... 続きを読む

夜明け前

朝5時45分に外に出ると夜中です。しばらく歩いて6時過ぎにやっと少し明るくなり、6時20分にはすっかり朝です。暗闇から明けるまでのグラデーション 手袋を忘れたので、手が冷たいです。歩きながら手をすり合わせ温めました。でも昔体験した東北の冬に比べれば可愛いものです。あの頃はほんとうに冷たく、耳あてなしには外に出られませんでした。 まだ12月、本格的な寒さはこれから 傷めていた腰も風邪も一応回復しました。 本を1冊紹介します。産経新聞大阪社会部が1年以上にわたって連載した「死を考える」が本になりました。この記... 続きを読む

戦争責任

仏教タイムズに、曹洞宗宗務荘重談話「憲法擁護と不戦の誓い」が出ていた。宗門の戦争責任は92年の「懺悔文」、これを踏まえてのものという。 そこでは「明治時代以降の近代戦争における教団の戦争協力と侵略行為について、アジア世界の人々に対して戦争責任を認め、さらに、当時、仏教という平和を希求した人々の生命を重んじる宗教でありながら、戦争に積極的に加担し、太平洋戦争後35年間もこの責任の表明を為しえなかったことに対して謝罪を表明しています」と言及している。 その「懺悔文」を見ると開教伝道への反省が主眼となっている。... 続きを読む

峠越え

ようやく仕事が峠を越え、一安心しています。 昨日は久しぶりに床屋さんへ。昔、事務所を置いていた神宮前まで。越した後、事務所付近で床屋さんを探したのですが、やってもらう感じが違います。数回試みましたが、ちょっと遠いですが、前のお店に戻り、いまでも通っています。雑談しながらの40分くらいですが、行くたびに心身がリラックスできます。 先週は腰を痛めており、2回指圧に通いました。おかげで少しよくなりました。椅子から立ち上がるときが痛いというやつギックリ腰寸前これまでギックリ腰経験3回あのときの辛さを再び経験するの... 続きを読む

倫理嫌い

明日からまた寒くなるとか… 年老いてますます強くなるのが「倫理嫌い」 もともと「倫理」という言葉が好きではない。もともと「立派」という言葉が好きではない。 人間は、などというと大げさだが、自分を省みると ボロボロ 呆れるほどだ。だから他人のことは言えない。 最近嫌なのは「上から目線」「自分は正しい」なんて奴は信用できない。 私の生涯「愚かさ」ばかりでも、そこに居直っている自分がいる。老いるごとに居直りは強くなる。 前にも書いたように思うが(物忘れと繰り返し、開き直りは老いの証拠)、私は自分の舌と耳を信じて... 続きを読む