「終活ブーム」の底にあるもの

「人生90年」時代に突入した。 明治期までの「人生40年」の倍、統計的な話ではあるが、「人間の一生」は長くなった。 子どもは、6歳で小学生、12歳で中学生…と成長のめどがある。 しかし、高齢者には「いつまで」というめどがない。 私は「たぐいまれ」と言われた古希を過ぎた。 正直なところ生きるのにいささか疲れている。 「もう、いつでもよい」という想いだが、こればかりは自分では決められない。 学生時代に同級の親友に死なれて以降、元々執着心があまりない人間であるが、4年前に姉を72歳で亡くして以降、ことさら自分の... 続きを読む

「いのち」を考える―生死のつながりの中で

『ソナエ』に2016年末から当時の赤堀編集長との縁で連載記事をもたせていただいた。 約2年のお付き合いであった。 現在発売中の同誌の記事をもって連載終了となる。 「終活」をうたう一般の人向けの発言、というのは私としては得意ではない。 実践的に行政や市民団体との関係で係わることはあったし、それは終末期の問題から死後事務まで幅広く学んできた者の責任であると思っていた。 事実、当初は終末期医療、介護、葬儀、墓、遺言や財産相続、死後事務が独立しており、相互に知識を共有することはなかった。 行政の研究会に参加しても... 続きを読む

「暴力」とは何か?

今朝(2018年8月31日)の朝日新聞朝刊スポーツ欄の「視点」(パワハラ疑惑 体操協会が第三者調査へ 「反暴力」揺るがすな)は、何とも言えぬ不快感を感じさせるものであった。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13658205.html?iref=pc_ss_date そこには「暴力」についての本質的考察を欠いた、「優等生的な常識」「上からの説教」だけがあったように感じたからだ。 「日本体操協会が、指導中の暴力を理由に速見佑斗コーチを無期限の登録抹消処分としたこと... 続きを読む

葬送問題のコンテキスト 「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

このところ紹介すべき本の紹介がしきれていない。 3冊を本の表紙だけ紹介しておこう。いずれも優れた本。出版順に ①星野哲『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書) ②松島如戒『私、ひとりで死ねますか―支える契約家族―』(日本法令) ③瀧野隆浩『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版) 星野さんは立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者。 松島さんはりすシステム創始者。 瀧野さんは毎日新聞社会部編集委員。 お三方とも私と親しい関係にある。 これからが本文 葬送問題のコンテキスト... 続きを読む

妙光寺・安穏廟が切り開いたもの

2018年の新潟・妙光寺の送り盆(第29回フェスティバル安穏)が8月25日(土)に行われた。 妙光寺からの報告 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1660681727391950&id=503879279738873 永石光陽さん(大分・常妙寺住職)のレポート  https://www.facebook.com/hiroshi.fujita.79677/posts/1009145359291530?comment_id=10091... 続きを読む