◎遺族の肖像―3・11の被災者 ■「記憶がゴチャゴチャ」している被災者 女川町から転出した人たちだけではなく、残った人たちもさまざまな転変をよぎなくされた。 ほとんどが犠牲者と何らかの関係があった人たちである。精神的に大きな打撃を受けたことに加えて環境の大きな変化を受けた。それがそれぞれにさまざまな変化を強いた。 「復興」といっても、それは女川町の人々を大震災以前に戻すことではない。 家族、親族、隣人、知人の喪失、暮らしの環境の激変…これらは戻ることはない事実である。喪失、激... 続きを読む
女川町の場合・東日本大震災アーカイブ(5)
本日は東日本大震災発生から6年目。 ■巨大地震発生と大津波の襲来 国土地理院がその後発表したところによれば、東日本大震災は、 ・国内観測史上最大のモーメントマグニチュード9・0。 ・断層の大きさは長さ450㎞、幅200㎞。 ・最大すべり量約30m。 ・破壊継続時間約170秒(3分弱) ・牡鹿半島にある観測地点では上下変動は約1・2m沈下、水平変動は太平洋沖に約5・3m移動。 であった。 地震発生当時、女川町役場では、町議会の最中であった。 地鳴りがするような巨大地震であった。 その巨大地震に驚愕し... 続きを読む
身元不明者の慰霊祭・東日本大震災アーカイブ④
身元不明者の慰霊祭 一昨日の7日、仙台の葬儀社・清月記の西村恒吉さんからメールをもらった。 今日(注・2017年3月7日)石巻仏教会による東日本大震災身元不明遺体慰霊祭が行われました。今年からは火葬場近くに新設された納骨堂前でのご供養となりました。僧侶20数名と、市職員5名の参列でした。 私たちは震災の翌年から、いつものメンバーでこの慰霊祭の準備をお手伝いしており、年々、減少する数は少なくなっていたのですが、昨年は34名のご遺骨で、今年は33名だとの事です。 1年間で1人しか身元が判明し... 続きを読む
若者が町を出ていく・東日本大震災アーカイブ③―個から見た死と葬送(23)
2011年の大震災から6年。福島県の避難指示解除が進んでいるが、戻ったのは13.1%という。 朝日新聞2017年3月6日記事によると、 東京電力福島第一原発事故の発生で、福島県内の11市町村に出された国の避難指示。この春、4町村、約3.2万人に対する避難指示が解除される。避難を強いられた地域は6年前の約3割の面積にまで縮小する。ただ、帰還は進まず、自主避難した住民もおり、全国にはなお8万人近い避難者が暮らしている。(略)ただ、すでに避難指示が解除された区域でも、実際に戻った住民の割合(帰還率)は平均で13... 続きを読む
妻を捜す 東日本大震災②―個から見た死と葬送(22)
妻を捜す 3月11日以降、私の胸のなかを風が吹きすさび、ときおり内部に奥が見えない空洞が広がり、心を揺さぶり続けている。 捜す。 東日本大震災発生直後は、毎日遺体安置所に通って、新しい遺体を確認して回るのが日課だった。妻が見つかればと願い、でも妻ではなかったことにどこかで安堵していた。 4カ月経った今では、新しく収容される遺体は日に数体あるかないか。多少類似している遺体を見せてもらうのだが、近づくのを拒むような圧迫するような臭いのバリアが立ち込めている。鼻が殺がれ、目が窪み、遺体には生前の面影を偲べるもの... 続きを読む